気分はいつも雨のち晴れ!

散歩道で見つけた四季折々の山野草を紹介!

感動を受けた詩や新聞記事なども紹介!

赤い靴 赤い服 赤いランドセル

2023年06月19日 | 朝晴れエッセー

(イチヤクソウ)

 

 

今朝の朝晴れエッセー・「赤いランドセル」を読んで・・

 

作者の息子さんは赤いランドセルが良いと言って

いろんな人が お決まりのアドバイスをしても

作者であるお母さんは何も言わなかった

それには・・・

幼稚園の遠足用に水筒を買いに作者のお母さんと行ったときのこと

一目惚れしたのがガッチャマン全員が描かれている水色の水筒

 「これにする!」と言ったが

「男の子用やけど、エエん?」と

作者のお母さんの一言で諦めた経緯があった

息子さんはぶれずに赤いランドセルを選んだ

小学校時代はずっと赤いランドセルを背負い大切に扱った

 作者が持っていなかった自分が良いと思った心を信じる力

何を言われようとも動じない強さを息子さんは備えていて

高校生になった今も通学用には赤いリュックなのだそう

 

 

○十年前 私たち姉妹弟は公園で

鉄棒やブランコで遊んでいたときのこと

他の子どもたち数人が遊んでいる砂場で

弟も遊んでいるが、ちょっと様子が変

弟は横座りをして、モジモジしている

決して楽しそうではない

 

見ると弟は私たちの お古である赤いスニーカーを履いていたのだ

母は破れてもいない靴を処分するのは勿体ない、

と弟に履かせていたのだ

 

弟の気持ちを察した私は

「kちゃん、もう帰ろうか⁉」

弟はまだ小さくて何も言わなかったけれど

「kちゃんに赤い靴を履かせないでやってほしい」

「可哀そうだよ!」と母に言いました

 

女の子は赤 男の子は青・・・

・・・という固定観念が強い時代でしたから

 

男の子も女の子も

好きな色が選べる自由な時代になったことは

とても喜ばしいことだと つくづく実感します

 

先日も甥っ子に男の子が誕生し、

赤いウエアーと赤い靴をお祝いに贈ったばかり

 

 

(みなくち子どもの森で・・イチヤクソウ)

 

 

 

 

 

 


今朝の朝晴れエッセー 「さわす ということ」

2023年02月08日 | 朝晴れエッセー

(昨日 ひなあられ状態だった庭の梅が咲き始めました)

佐竹加織さん(46歳)の朝晴れエッセーのなかで

「さわす」という言葉について

「さかす?」「さわく?」と

何度も聞き返した

 

新潟出身の友人は地元の親から送られてきた柿を

お裾分けしてくれるという

 

友人は「さわしてあるから一週間後ぐらいが食べごろだと思う」

と言ったそう。

作者・佐竹さんの頭の中は?マークでいっぱいになった

「さわす」が分からないのだ

友人によれば渋い柿のへたを焼酎に漬けて

しばらく置いておくと甘くなるという

それを「さわす」というらしい

 

作者の実家・岐阜は まあまあの柿の産地で

両親に訊いてみるも知らない という

調べてみると辞書にちゃんと載っていて

漢字で「酉林す」と書く

*(☝の「さわす」という漢字は酉と林で一つの字ですがpcでは変換できないので別々に表わしています)

 

「さわす」は方言ではなく標準語だったのだ

私も知らなかったので早速 辞書を引いてみた

【渋みやアクを抜く、水にさらす】とある

 

作者の佐竹さんも言っていますが・・・

日本語でありながら

まだまだ知らない言葉が沢山ある・・と

初めて出会う言葉はとても新鮮

 

「さわす 酉林す」

どこかでサラリ・・と使ってみたいな

 

 

(ロウバイもポツリポツリと咲き始めました)

 

 

 

 

令和5年2月8日 庭の梅と朝晴れエッセー

 

 

 

 


サーカスは観たことがない!

2022年12月19日 | 朝晴れエッセー

 

(余呉湖)

 

 

12月17日付「朝晴れエッセイ―」

サーカス少年との思い出」を読みながら

脳裏を過るものがありました

 

 

小学5年生に進級するとき町の大きな小学校に転校

クラスの皆が早口で自分のスローな喋りと

なまりがとても恥ずかしく

学校が嫌で友達もできずにいた

そんな時、もうひとりの転校生がクラスにやって来た

町の海辺にサーカス小屋の建設が始まり

彼は そのサーカス団の子だった

彼は隣の席になり仲良くなった

無口な彼は勉強は苦手だったが、運動神経は抜群

鉄棒、跳び箱では皆を驚かせた

放課後、彼から”逆上がり”のコツを教わり

マスターしたときの感動は忘れられない

夏休みも彼と一緒に遊び、てんこ盛りの宿題も

2人で取り組み、二学期になると

他の級友たちとも積極的に関わるようになった

秋が深まる頃、サーカス団は次の公演地に移動することになった

彼の母親からお礼としてサーカスのチケットをもらった

彼と一緒に観る初めてのサーカスに息をのんだ

これが親友との最後の思い出となった

(青文字は朝晴れエッセー)

 

作者は、この後

彼のお陰で明るい自分になれたことなど

感謝と元気で居て欲しいことなどを綴っています

サーカスは一度も観たことがない

一度だけチャンスがあった・・

子どもの頃、小さな田舎町にもサーカス団がやって来たのだ

家族でサーカスを観に行くことになったが

私は「行かない!お祖母ちゃんと 留守番してる」

母は「可笑しな子だねぇ~」と 

サーカスを観に行ったら、そのまま

置いて行かれるのではないかと

子ども心に真剣に思っていた

幼い頃、親の言う事をきかなかったり

悪さをしたり、泣き止まなかったりすると

「そんな子はサーカス小屋に売る」と

私のなかでは ”サーカスは怖い” というイメージが

インプットされていたのだ

 

大人にとって手っ取り早く都合が良い

子どもへの言い利かせが

 狼、お化け・・など怖~い話が一番の効き目

 

もしサーカス小屋に売られていたら

人間技とは思えない曲芸が

人一倍不器用な自分にも出来たかも知れない!

 

 

 

 

 

 

 


ササユリ と「ビンタと涙」

2021年06月17日 | 朝晴れエッセー

2021年6月3日 市内は恵古の森にて

自生のササユリを見つけました

 

 

遠方にいる友が

ブログを見てくれていると思うと

更新しなきゃ・・・と

数日 投稿しょうか

迷っていた記事を

思い切って書いてみました。

 

友よ やっと更新したよ‼

 

 朝晴れエッセー 「ビンタと涙」

 あれは50年以上前の私が小学4年生のときのこと。

担任は沼山先生という若い男の先生でした。

スポーツ万能で児童たちに大人気で、私も先生が大好きでした。

 当時私たちのクラスでいじめを受けていた女子がいました。

いじめの原因はその子の身なりや言動が他の児童と少し違っていたことでした。

 ある日の放課後、クラスの児童だけで理科室で実験の復習をしていました。

そのとき、一部の男子児童がその女子をなじるような発言をしたことをきっかけに、複数の児童がその子を非難し始めました。

 それから数日後、沼山先生から男子児童は校庭で一列に並んで待て、との号令がかかりました。

 何のことだろうと初夏の校庭に並んで待っていると、先生が男子児童の前に立ち

「この前 理科室で○○さんをいじめたと聞いた。お前たちは何と情けないやつらなんだ」

と怒鳴りつけ、1人ずつビンタを張っていきました。

 私の番になりました。

 先生は「倉田、学級委員のお前がなぜ止めなかった。そこがお前とS(隣のクラスの男子学級委員)との一番の違いだ。

Sなら止めてたぞ!」と言って私の頬を一番大きなビンタで張りました。

 そのときの沼山先生の頬を流れる涙を今でも忘れることができません。

校庭に残った私は、止めなかった自分、見て見ぬふりをした自分を恥じて泣きました。

 その後クラスではいじめがなくなりました。

そして、沼山先生の訃報が届いたのはその3年後のことでした。

       (2021・6・15 東京都世田谷区 倉田修さん(63歳)のエッセー)

 

「ビンタと涙」は

心を打ちました!

 

昨今の教育現場は

教育委員会、保護者、マスコミ等を意識するあまり

教師本来の信念に裏打ちされた

教育がなされていない と感じます

ビンタは賛同するものでは決してありませんが

沼山先生の愛情をもって児童をしかる…

先生の頬に流れる涙は児童たちの心に

深く 深く染み渡った と確信しました!

 

(2021年6月3日 市内にて)