浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「ブッダのことば」より。

2017-05-11 23:41:24 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

        ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

   
               第四 八つの詩句の章 

              13、並ぶ応答――長篇

907、(真の)バラモンは、他人に導かれことがない。
         また諸々のことがらについて断定をして固執することもない。
         それ故に、諸々の論争を超越している。
         他の教えを最も勝れたものだと見なすこともないからである。

908、「われは知る。われは見る。これはそのとおりである」
         という見解によって清浄になることができる。
         と或る人々は理解している。
         たといかれが見たとしても、それがそなたにとって、何の用があるだろう。
         かれらは、正しい道を踏み外して、他人によって清浄となると説く。

909、見る人は名称と形態とを見る。
         また見てはそれらを(常住または安楽であると)認め知るであろう。
         見たい人は、多かれ少なかれ、それらを(そのように)見たらよいだろう。
         真理に達した人々は、それ(を見ること)によって清浄になるとは
         説かないからである。


                ~ 感謝・合掌 ~


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「ブッダのことば」より。

2017-05-11 00:13:23 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

       ~ 恩師の御講演「ブッダのことば」より ~

     
               第四 八つの詩句の章 

              13、並ぶ応答――長篇

904、かれらは自分の教えを「完全である」と称し、
        他人の教えを「下劣である」という。
        かれらはこのように互いに異った執見をいだいて論争し、
        めいめい自分の仮説を「真理である」と説く。

905、もしも他人に非難されているが故に下劣なのであるというならば、
        諸々の教えのうちで勝れたものは一つもないことになろう。
        けだし世人はみな自己の説を堅く主張して、
        他人の教えを劣ったものだと説いているからである。

906、かれらは自分の道を称賛するように、
        自己の教えを尊重している。
        しからば一切の議論がそのとおり真実であるということになるであろう。
        かれらはそれぞれ清浄となるからである。


               ~ 感謝・合掌 ~


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