恩師のご著書「講演集」より
講演集、 三
高橋信次先生の教えに導かれて
皆様こんにちは。
こうして今日初めてこの清水の地にご縁を頂きまして、
これも全く奇しきご縁でございます。
只今司会をしていただきましたMさんから、
突然私の所に電話を頂きまして、
もちろん、私を直接ご存じない方ですが、
電話の向こうで泣いて泣いて話していただくのですね。
同じ正法神理を学ぶ心の友が苦しんでおられるご様子です。
これでは何もなりません。
では、その苦しみを電話を通して癒させてもらいましょうと、
お祈りさせていただきますと、
その場でその苦しみが吹っ飛んでしまったそうです。
正しい法、お釈迦様がお説きになりました法の力とは、
「覆われたるものを、払いのけたるが如し」
「倒れたるもの、起こすが如し」
「暗闇の部屋に、松明をかざすが如し」、
法の力は即、現れるものであるとお説き下さいました通り、
正にご利益が現れるのですね。
ご利益とは、信仰ではございません。
高橋信次先生の「心行」は皆様もご存じかと思います。
今年はもう先生の十三回忌をお勤めになったと思うのです。
昭和五十一年六月に、ほんとうに心からお慕いさせていただいておりました
高橋信次先生が、突然この世をお去りになりました。
その時、未熟な私は一体どうしたらいいのだろうか、
心の支えとしてお慕い申し上げていた先生が、
突如としてこの世を去られて、
これから先どうしたらいいかと、気が狂ったように、三日ほど泣き叫びました。
泣いて泣いて、泣きあかした末に、先生はテープの中に、またご著書の中に、
その教えの総てを説いて下さったいることに思い至りました。
又、お弟子である偉い先生の所へ、
意識で信次先生からの通信があったと聞きました。
お釈迦様が涅槃にお入りになります時、だんだんと肉体が衰えていかれます。
その時、お釈迦様の側でずっとお世話をなさった阿難尊者という方が、
「仏陀、私たちを残してなぜあの世にお帰りになるのですか。
私たち未熟な者を残して仏陀があの世へお帰りになった後、
私たちはどのようにしたらよいのですか」と泣いて、
お釈迦様に取りすがったそうです。
その時、お釈迦様は「阿難よ、何を嘆くか、この老いた身を見て何を嘆くか。
私の身体は、すでに革紐の力を借りなくては動くことのできないあの車輪の
ようなものである。
このような肉体はやがて朽ち果てるものである。
そなた達は私の説いた法に帰依しなさい。法を拠り所としなさい。
そして、自らを拠り所としなさい。
他を頼ることなく、日々に精進せよ」とお説きになりました。
信次先生も最後の通信の時、意識でそのような
通信を送ってこられたそうですね。
先生はご著書に或いはテープに、その教えを説いて下さっています。
お釈迦様の当時はテープもございません。
経文さえ無かったのです。
お釈迦様に説法していただいた教えを口伝えに伝えたものですから、
そのことを思えば、私たちは学ぼうと思えば、
先生のテープはいつでも聞かせてもらえますし、
ご著書も本屋さんに行けばいつでも求めることができます。
その教えを拠り所として、そして自分自身を拠り所として、
他に頼ることなく生きたら、何も迷うことはなかったはずです。