浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

我れ食べず人に施す母の愛
幼き我に布施教えらる

「御垂訓」

2021-01-19 00:03:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
   
  恩師のご著書「講演集」より

             講演集、 三

       神のみ使いであることに目覚めよう


先の続き・・・

つらつら自分を見つめますと、この世の人間として、
まあ、私ほど可哀そうな人間はないと思います。
何一つ自分のことをする時間がありません。
お習字も、お陰様で教育部師範と言う免状は頂いたのですけどね。
もうあと専門部準師範と、専門部師範があるのです。
それにどうしても挑戦しなくてはいけないということですけど、
この頃、筆を持つ時間が全然ないようになりました。
せめてもう一つ免状をと思います。

もともとお習字は好きだったのですが、
しかし、生きるのに精一杯で、
そういう習い事もできなかったのです。
ちょうど五十歳の時から習い始めました。
そして、五年で教育の師範免状を頂きました。
時間がありさえすれば、もっと筆を持っていたいのです。
自分の書く文字は自分の癖をもって書いているので、
習字というのは、その癖を正すために習うのですから、
正法とものすごく似ているのです。

自分の持っている悪い癖や欠点を正しく変えて、
基本に戻すその訓練ですね。
習字の線の一本一本を正しい基本に従って直していく、
腕で引いても一ですし、また指先を動かしても一です。
縦に引いても横に引いても、その専門のことになりますと、
もうほんとうに正法そのままです。
だから、習字の中でいろいろと学ばせていただきましたけれど、
それさえできなくなってきまして、三次元的見方をしますと、
私はこの世的には可哀そうな人間ですね。

しかし四次元的見方から見ますと、
あの世的に私ほど幸せな人間はありません。
世のすべての方の愛を、私が一身に頂いて、
そして神の愛も頂けます。
それは、自分を捨て、自分の一切を捨てて、
人の為に生きさせてもらった時に、
人々の愛を頂くのです。

神様は、「あなたは私にとって必要である。
私の思いは、すべての人がいとおしい。すべての人は、
私の分け身、いとし子である。
私は不幸な人を幸せにしたい。
しかし、愛ゆえにその身を滅した存在である。
だから、私自身は人を救うことができない。
肉体を持ったあなたを通して私は働こう。

よくやってくれました。よく頑張ってくれました」と言って、
喜んで下さいます。
だから、神の御子の使命に目覚めることですね。
神様の目から見ますと全部平等で、全部がいとし子です。
そのお一人お一人が、
全部神のみ使いとしての使命を果たすことができるのです。
特定の人間だけができるのとは違うのですね。
全部がそうです。
目覚めたらいいのです。

自分が目覚め、そして目覚めたならば、
それを行いに移していけば、全部が神のみ使いです。
私は「いといと、いと小さき神のみ使い」です。
だから、私に縁ある方は幸いです。
「縁なき衆生は度し難し」とは、お釈迦様がおっしゃった言葉です。

いといと、そのいと小さき神のみ使いに目覚めたならば、
偉大なる神の御業が現れます。
「私は偉大なる光の天使である」と言ったら、
「ああ、あいつは頭が狂っている」と言われますね。
だから、いと小さき、いといと、いと小さき神のみ使いとして、
お互いに生きていきたいと思いますね。
どうぞ、自分が神のみ使いであるということに目覚めて下さい。
必ず幸せは約束されます。
幸せは与えられます。
このご縁で頑張っていきたいと思います。
ありがとうございました。


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