浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

有難や米一粒の一粒に
神の御命 我給わらん

「御垂訓」

2021-01-23 23:59:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より

            講演集、 三

        今の一瞬の行いと思いを大切に


私たちは自分の心を拠り所として生きたらいいのです。
そして、法を実践することですね。
行うことなく、智識で得たものをどれほど理屈をこねて喋ってみましても、
その行いがなかったら、何のご利益も現れません。
行いの中に、その法の力が現れます。
ものすごく簡単なことです。
笑顔をもって接してみなさい。
忽ちにして、笑顔というその行為によって相手の方に安らぎを与えます。
即、現れます。

その代わりに、怒りの思いをもって接しみなさい。
相手の方が、忽ち怒りの相を現わしてくれます。
毎日の生活で、私たちは人によって苦しめられると思っておりますが、
しかし苦しみの原因は、自分が作ったのです。
人が悪いのとは違います。
地獄に落ちて迷える諸霊方は、自分が原因を作って、
その結果の苦しみが自分に現れているのですが、全部「私が正しい」と主張します。
「私が悪うございました」と言う人は、地獄に落ちていません。
これは、肉体のある私たちにしても同じです。

「ああ、申し訳ないことだった。私は至りませんでした」と言えるような方の心は、
安らいでおります。
「私は正し。私は間違いない。あなたが悪い」と言う人の心は、
地獄界を展開しています。そして、その思いがやがて肉体を去った時、
苦しみの世界へと自ら入っていくのです。
「人は今を生きるものである。過去に生きるものではない。
また未来に生きるものでもない」今現在生きているのです。
今のこの一瞬一瞬に、私たちの人生が展開しているのですね。

今悲しんで苦しめば、この続きが未来の姿です。
そして、今もし悲しい苦しいことがありますと、その元は過去にあるのです。
原因があって、結果が現れているだけですね。
そして今が原因となって、未来が展開します。
だから、今現在がいかに大事かということを知ることですね。
私たちの人生の時間は限られており、しかも過ぎた日は取り返すことは
できないのです。

悲しい、苦しい、辛い、或いは喧嘩して憎い、腹が立つ、
こういう思いをしておりますと、
貴重な今日一日が苦しみの中に消えてしまいます。
もう再び帰りません。
いや、明日もあるわいと思いますが、明日の日もまた消えるのです。
絶対に取り返すことのできないその得難い時を、今生きているのですね。
一瞬一瞬をどれだけ大切にするかです。

泣いて暮しても、一日は過ぎます。
腹を立てて文句を言って暮らしても、一日は過ぎていきます。
同じ取り返すことのできない一日であれば、この一日を喜びに、感謝に、
安らかに過ごせば、私たちの人生を幸せにしていくことができます。


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「御垂訓」

2021-01-23 01:18:16 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
   恩師のご著書「講演集」より

            講演集、 三

        苦しみは神のご意志に背く


私たちは毎日生活させていただく中で、
自分の心を苦しめないこと、どのような出来事が起きても、
自分の心を苦しめないようにすることが大事です。
喧嘩をしたら、必ず苦しいです。
親子喧嘩、夫婦喧嘩、兄弟喧嘩そして友達との喧嘩、
こんな時はもう自分の心をものすごく苦しめます。
仲良くしている時は、たいへん心安らかです。

「仲良きことはうるわしきかな」で、
仲が良いのは側で見ていても気持ちのいいものです。
しかし、喧嘩をしておりますと、傍目にも嫌ですし、本人も苦しいです。
神は自分の心を苦しめてはならないとおっしゃっています、
なぜ神の子である私たちが自分の心を苦しめて神に背くのですか。
どんなことがあっても、神の意志に背いては絶対に幸せにはなれません。
怒りもそうです。
愚痴もそうです。

人の悪口もそうです。
或るはい自分を良く見せる為に人を陥れるような行為、
これも自らを苦しめます。
人の悪口を言っている時の自分の心はサタンです。
また人を憎んでもなりません。
恨んでも、或いはまだ来ていない未来を思い煩う不要の取越し苦労、
怖いと思う不安とか恐怖も嘘も心を苦しめる中に入っています。
それから、盗む、足ることを知らぬ欲望、つまり貪欲、このような思いも、
すべて神のみ心に背く行為です。

しかし、これを分かり易く説く指導者が、今まであまり出ておられません。
苦しみの原因はここにあるのです。
なぜ苦しむかというと、神のご意志に背くから苦しむのです。
神のご意志とは、自然の法則ですね。
自然の法則に背いて自然の中に生きることはできないのです。
苦しみとなって現れてきます。

神様は、すべての人間が自分の子や孫がいとしいように、
神様の目から見ましたら、
私たちがいとしくていとしくてたまらないみ心でいられます。
「我がいとし子よ、どうぞ幸せになってほしい、健やかに生きてほしい、
健やかに幸せに生きてほしい、その為には自分を苦しめないでほしい、
自分を大事にしなさい」と、私たちが自分をいとしいように、神は私たちを
いとおしんで下さいます。

そして、この世の中で誰が大事か、
誰がいとおしいかと究極的に問い詰めましたら、
自分ほどいとしいものはないのです。
なぜかと言うと、それは神の子だからです。
そして、その自らがいとしように、他の方も皆さん自らがいとしいはずです。
まず自分を大事にして、そして他を大事にしていくことですね。
これが神のご意志です。
私のグループの「心の友」では、「神様という言葉を使っても、
これは宗教ではありません。心の勉強会です」と言って、
そのような気持ちで学んでいます。
組織とか宗教に片寄らないことが大事だと思います。


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