浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「垂訓」

2023-06-15 00:09:35 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

         恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

          子供は親に目覚めを導く

先の続き・・・

もし今後、こういうことをしたら、姉さんの竹刀でお尻をたたくから」と
言っても、「はい」と言うだけで、また遅く帰ってくるのですね。
約束だから、しようがないのです。
「来い」と言った時、「ごめん、今度はもうしないから」と言ってくれたら、
「今度はもうしないでくれ」と言って済むのに、「来い」と言ったら、黙って
ついて出てくるのです。

「じゃ、向こうをむけ」と言って、竹刀でお尻をパンとたたいら、「痛い」と
言って、身をちょっと庇います。
これは本能です。
私は鬼みたいな心になっていますから、もういっぺんでは止まらないで、
又その上に何回か竹刀でお尻をたたきます。

そして、「もういいから、もうお休み」と言うと、
子供の部屋は二階にありますので、まあ、泣きながら上に上がっていったのです。
「しまった、えらいことをした、お尻をたたいて、
お尻を庇った手が折れてないだろうか、お尻が切れてないだろか」と思いますと、
もうじっとしておれないのです。

また、子供の部屋へあがっていって、「けがはしていないか、指は大丈夫か」と
言って、からだを見ますと、有難いことに指も折れていません。
「もう、二度とこんな思いをさせないでほしい。
もう、こんなことは二度としたくないから」と念を押すのです。



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「垂訓」

2023-06-14 00:30:46 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

          子供は親に目覚めを導く

先の続き・・・

出て行く時に、下駄などを履いていってないのは分かるのですね。
それでも、表で下駄の音がしたら、帰ってきたのではないかと思って、
表に飛んで出たり、或いはかすかな足音が耳に入れば、
飛び出していったり、
或いはどこへいったか分からない子供を探して出歩いたり、
ほんとうにいろいろと苦しい悲しい体験をさせてもらったのです。

最初の間は、夜遅くでも帰ったてきたら、もう、「何をしていたのか」と、
まるで鬼みたいに叱りつけました。
「言うことを聞かないのなら、今日はもう髪の毛をつかんで引きずり回そうか」
と言いましても、それでも聞いてくれないのです。
「これだけ言っても、お前が聞いてくれず、口で言っても分からないなら、
牛や馬のように体罰によるしかない。


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「垂訓」

2023-06-13 03:12:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

    恩師のご著書「講演集」より


              講演集、三

          子供は親に目覚めを導く

今から十三年前、私の家内がくも膜下出血で突然亡くなったのです。
或る日、突然、子供二人を残して亡くなってしまいました。
その時、下の子は中学三年生、上の子は高校三年生でした。
まあ、子供たちにしてみたら、突然、母親を失ってしまいまして、
上の子はまあよかったのですが、
下の子は中学三年で一番心の揺れやすい年ごろであり、
不安定な日が続いたのです。

ちょうどあくる年は、上の子が大学入試、
下の子は高校入学という時期でした。
下の子はさびしいものですから、つい友達の所に遊びに行き、
そしてだんだんと、夜、帰ってくるのが遅くなる、
そういうことが続いているうちに、夜、帰ってこなくなりました。
家内がいてくれましたら、
「お前、留守番していてくれ、わしが探してくる」とか、
或いは「お前のしつけが悪いから、こんなことになったのだ」とか言って、
喧嘩もできるのですが、一人ぼっちになってしまいますと、
喧嘩をする相手もいないのです。

そうしているうちに、上の子は大学に合格して、寮に入ったのですね。
ですから、今度は下の子と二人です。
夜、十時になっても十二時になっても、帰ってきてくれないのです。
その時、十時になっても十一時になっても十二時になっても、
帰ってきてくれないのです。
その時の辛いことは、言葉では表しようがありません。
ほんとうに自分自身に与えられる苦しみであれば、
自分が耐えたらいいのですけど、
子供を通して与えてもらう苦しみは、子供が立ち直ってくれなければ、
それはどうすることもできないのですね。


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「垂訓」

2023-06-12 00:16:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


                  講演集、三

              偶像は神理を伝えない

先の続き・・・

私たちが今まで神と思ってお参りしていたこの世の神様は、
全部人間が作った神様ですね。
宮大工が社(やしろ)を建て、
ご神体なるものを人間がこしらえたのです。
こういう言いかたをしますと、
宗教関係の方からお叱りを受けるかもしれませんが、
これが神理ですから、逆らうことはできないはずです。

「我が屋の神様は重要文化財で、
値のつけようもないありがたいものだ。
お前のは何を言うのか」と叱られた時は、
このように言おうと思っています。
ちゃんとその答えは出ています。
「では、お宅の神さんはものを言われますか。
お宅の神様に私が頼んだら、
ちゃんと聞いてくれますか」―――。

これは聞こえるはずはないのです。
ものも言えない神が、どうして神理を伝えてくれますか。
答えることはできないはずです。
妙な力のある神様が祀ってありますが、あれは神様ではなくて、
悪しき霊が入っているのです。
これは人に災いを起こします。

私は、今まで数えきれないほど、神様と称する霊をお救いしました。
祀った神様に、「この社の中に祀られているものはよく聞きなさい。
あなたは神でも仏でもない」と言い聞かせますと、
神様は「はい、はい」と聞いています。
これはほんとうのことです。
そして、供養をしますと、いっぱい詰まっていた霊の方が皆、
反省に入られ、懺悔をされ、きれいな魂となって、救われていかれます。
たとえ何千何万の霊の方でも、いっぺんに救うことができます。
これがほんとうの法の力です。


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「垂訓」

2023-06-11 00:04:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より


              講演集、三

          偶像は神理を伝えない

「多宝塔だと」いって、大きな塔を建てた人があります。
あれはA宗教で、信者さんに多宝塔を買わせて、
千日講といって千日拝むのだというのですが、
そんなものを拝んでも、何の意味もありません。
モーセは、「偶像を信仰してはならない」と言っておられます。
偶像とは、人が手をもって作った形あるものです。

人間がその手をもって作った物は、
その材料が金であっても木であっても、
又、ちゃんと目があり、鼻があり、口があり、
手足までついていても、動くことはできません。
偶像は動かないものです。
目がついていても、見ることはできませんし、
耳がついていても、聞くこともできません。

口がついていても、ものを言うこともできない、
そんなものがどうして人を救うことができるでしょうか。
聞くことができないものに、
こちらからいくら頼んでも聞こえるはずはないし、
話すことのできないものが、どうして神理を伝えてくれますか。

形ある人間が作った偶像は、見ることも、
聞くことも、喋ることも全くできません。
なぜかというと、その中には神の命がないからです。
神の生命が通じていないから、生きるものとは違うのです。
神とは、人が作ったものではなく、人を造り給うた自然の力、
これこそ、ほんとうの神様です。


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「垂訓」

2023-06-10 00:03:48 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
 恩師のご著書「講演集」より


               講演集、三

          内なる神理、すなわち多宝塔

よい行いとは、人々に喜んでもらうこと、
自分の身の周りの方に喜びを与えることです。
これは誰でも実践できる道です。
寒いのに、池の氷を割ってその中で、「摩訶般若・・・」と唱えても、
護摩を焚いて「ハァー、ヤァー」とやっても、
「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と
何万回唱えても、何にもなりません。
百回の護摩を焚くよりも、ただ一言の正しい神理を聞くことのほうが、
どれほど価値あるかわかりません。

お釈迦様は、「何日間も食べずに厳しい肉体行をすることよりも、
ただ一言のほんとうの言葉を聞くほうが価値がある」と、
おっしゃっています。
ただ一言の正しい神理を聞くほうが尊いし、またありがたいのです。
私が話していることは、すべて神理です。
そして神理は、ほんとうは外から聞くものではなく、
自分の内から聞くものです。

こうしてお話させていただきますと、お話は無限に湧き上がってきます。
途絶えることはがありません。
汲んでも尽きないように湧く井戸のようなものです。
これを、「パーニャパーラーミータ」すなわち、
「内在された智慧」といいます。
この内なる智慧こそ、ほんとうの神理ですね。
皆さんのお一人お一人の心の内には、神理が詰まっております。
自分の内に、ちゃんと神理が内在され、奥にしまってあるのです。
これを多宝塔とも言います。
仏教でいう多宝塔です。


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「垂訓」

2023-06-09 00:25:26 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
    恩師のご著書「講演集」より


        講演集、三

    内なる神理、すなわち多宝塔

私たちは日々の生活で、自分の心を安らかにして、
自分の心を苦しめないようにして、
そして悪い事はできるだけしないように努力することです。
失敗はしてもかまいません。
再び繰り返さないようにすることです。
過ちを犯してもかまいません。
すぐに悔い改めることです。

私たちは過ちを犯すように作られているのですから、
「私は悪い人間だ、私は罪人だ」と思って、自分を責めてはいけません。
人は神の子であり、たとえ罪を犯しても、その罪を犯すことによって、
罪を犯した時の苦しさを学ぶようになっているのです。
何をしてもよいけれど、しかし過ちは即、悔い改めていくことです。
そして、少しでもよい行いをすることです。


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「垂訓」

2023-06-08 01:05:50 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

         私たちの想念は現象化する

「ああ、恐ろしい、また同じことが起こると恐い」と思いますと、想念は
ものをつくります。
思いは物質化現象として現れてきます。
想念とはエネルギーです。
この現象世界、形として現れているのは、想念によって現れているのです。
私たちの思いによって、良くない想いを持ちますと、必ずその良くない想いが
現象化します。

良くない中にあっても、良き想いにチェンジして、
感謝、喜びに変えた時、その良くない出来事は続かないのです。
喜びのほうに心を向けますと、又、喜び事が訪れます。
どんなことがあっても、自分の心を苦しめてはいけません。
これは神のご意志に背きます。
神のご意志に背いて、幸せになれるはずがありません。
私のテープを聞いていただいたら、毎回、このことはしゃべっていると思います。


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「垂訓」

2023-06-07 00:00:37 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

         私たちの想念は現象化する

私たちは環境の中に生きていると、錯覚を起こしておりますけれど、
ほんとうは自分の心の中に生きているということを知ってください。
心の在り方の中に生きているのです。
どれほど厳しい環境の中に生きておりましても、
その環境を喜びに変えることができた時、その環境はまた整ってきます。
厳しい環境に打ちひしがれて、泣き苦しみ、悲しんでおりますと、
良くないことがまた起こってきます。

あるお宅で、何か良くない出来事が起こりますと、人はつい不安に囚われます。
「ああ、また悪いことが起こるのと違うか」と思います。
すると、その暗い想念が、又次の災いを呼ぶのです。
人生はいろいろなことが起こって当然、それは、喜び事よりも、苦しみ
悲しみのほうがより多く与えられるようになっております。
もし、苦しい出来事が起こった時は、「これぐらいで済んで有難い、これも
人生の学びの一つだ、ああ、結構なことだ」と、笑い飛ばしてしまいますと、
次の災いは起こってきません。


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「垂訓」

2023-06-06 00:39:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より


              講演集、三

         天上界からの無限のパワー

しかし、こうしてお話させていただきますと、
よくまあ、あいつは話ができるものだなと言われるぐらい、
話はとめどなく出てきます。
或る先生と言われる方のテープを聞くと、十分間で終わっていたり、
片面しか入っていなかったりするので、そのことについてHさんが、
「なぜこんなになっているのですか」と質問されますと、
「天上界のエネルギーが切れたら、ここでお話が無くなる」と言われたそうです。

この前、静岡に寄せてもらいました時は、昼間に着いて夜まで喋らせてもらい、
夜もまた喋らせてもらい、翌朝にはまた喋る、そしてお昼からここ浄心庵での
お話会でした。
いくら天上界のパワーを頂くといっても、これだけ喋ったら、
私の話のネタは無いようになります。
連続で四回お喋りをいたしました。

しかし、お話会では皆さんに涙を流して喜んでいただきました。
東京に帰る新幹線の中で、「それにしてもよう泣いたね」と、
言い合って帰られたそうです。
泣いたあとがとても嬉しいのですね。
心が軽くなるのです。
それは、法の雨によって心の曇りが流されるからです。


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「垂訓」

2023-06-05 00:00:54 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師のご著書「講演集」より


              講演集、三

         学歴、肩書、理論は一切不要

先の続き・・・

なぜそういうことができるのか――。
その現象を目の当たりに見ていただいた方は、
こう言って下さいます。
「先生はあの世の大僧正ですね」と。
実在界の大僧正。
現象の世界では織屋のおっさん。
そして今は按摩さんです。
下手で痛くて値が高くてという私の按摩です。
しかし、そんなものは関係ありません。

心からの愛と慈悲をもって行為に移った時、
神はその御業をその者を通してお示しになります。
何も考えなくてよい、「ただ幸せになってほしい、
健康になってほしい、
苦しい方は救われてほしい」その思いだけでいいのです。
私はそれだけしか思いません。
難しい理論は何も知りません。
あまり忙し過ぎて勉強する間もなく、
本を読ませてもいただけません。


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「垂訓」

2023-06-03 23:55:21 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
 
  恩師のご著書「講演集」より


              講演集、三

         学歴、肩書、理論は一切不要

この話をさせてもらいますと、或る方から、
「これは大学の偉い先生が訳されたの全く同じだった」と聞かせてもらいました。
又、聖者のお話について、クリスチャンの或るお医者さんが、
先月の私のテープを聞いて、「どんな神学校の先生も、あれだけ感動深いお話は
できません」とおっしゃったのです。
神学校の教授だそうです。

それで、私はそのお医者さんに、
「イエス様はどこの神学校を出られましたか」と言いました。
イエス様は神学校を出ておられません。
仏教の猊下大僧正(げいかだいそうじょう)というお方はこの世の学校を出ておられます。
しかしどんな偉い坊さんでも、亡くなられた方を即、成仏させる力をもった
お坊さんにはあまりお目にかかったことはありません。
中にはあると思いますが、私のような凡夫でも、そんなことは簡単にさせて
いただきます。


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「垂訓」

2023-06-03 00:08:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

   恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

           「能除一切苦」
先の続き・・・

「ギャアティ」ではなくて、
「ガテーガテー、パラガテー、パラサンガテー、ボーリスバハー」というのが、
ほんとうのインドのことばです。
「この言葉の中にこれ以上の呪文(真言)はない、これと比べるものはない、
これは最高の真言――まことの言葉である」と説かれています。

その真言は、言語のままに語ってこそ、威力を発揮します。
外国の言葉に代わったものは威力がないから、あれは訳さずにそのまま最後の
ところを「スバハー」と、「ハー」と息を吐くところがいいのです。
どこやらの偉い坊さんがどのように言うたとか、龍樹菩薩がこのように言うたとか、
あんなことは必要ありません。

人が言われなくとも、自分が言えばいいのです。
内在された智慧がすべて教えてくれます。
しかし仏教学者は別です。
言葉や時代や人名などをくわしく書いていただくのが仕事ですから。
ほんとうは、このようにお釈迦様がお説きになったというのを、
なぜ教えてもらえるのかというと、
私たちは過去にみな学んだ体験があるから分かるのです。
自らの体験によって自らに内在された智慧に到達した時、
その智慧が湯現して分かるのです。



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「垂訓」

2023-06-02 00:07:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓
  
恩師のご著書「講演集」より


             講演集、三

           「能除一切苦」

とても心が楽です。
生活態度がとても楽になります。
私は高橋信次先生に教えてもらった「般若心経」の、もっと奥を分かり易く
教えてもらいまして、「ああ、なるほど、そのように思わせてもらったら、
苦しみは何もないのだ、こんなものはみな感じているだけだ」と思わせて
もらえましたね。
「色は即ちこれ空なり、空は即ちこれ色なり」「色は空に異ならず、空は色に
異ならず」です。

私は幼い頃からよく父から、夜、度胸だめしのように使いに遣らされました。
田んぼの一本道の途中のお宮さんの麓に一本松があって、ここに狸が出て、
道行く人を化かすと聞かされましてね、そこを通っていくのが怖いのです。
「般若心経」なんてよくは知りませんが、
「ギャアティ、ギャアティ・・・」と、大声で怒鳴りながらその狸の出る所を
通っていったことを思い出します。



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「垂訓」

2023-06-01 01:05:39 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「講演集」より


          講演集、三

     「三世諸仏、依般若波羅蜜多故」

先の続き・・・ 

私たちが腹の立つことを言われたり、
ド突かれたりした時はショックですし、
いやなものを食べた時には嫌だと思うのは、
そのように感じているだけで、
「般若心経」に説かれた
「実体がないからこそ、形として現れている、
形として現れているからこそ、実体が無いのである」
ということを悟ったならば、
何を言われても、嫌なことが起きても、
「ああ、ほんとうは、こんなものは
実体が無いのだ」と悟ったら、
一切の苦しみを能く除くことができます。


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