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でも小さいですけど芽っぽいものが地面にそれでも、チラチラっと残っているのが見えたので、時期的にも復活しそうな気配が、まだあるにはあります。そしてドクダミ草自体は、ほかの場所にもいっぱいいたりします。その草刈り作業は、それはしかも仕事ですし、公共の場所だったりすれば尚更仕方無いです。
こういう草刈りや抜き取り作業なんてことは普通に当たり前に、いつでも起こります。個人の家でもどこでも。そりゃそうです。理解しています。なのでと言いますか、だからと言いますか、スキマ草たちとの出会いは、常に一期一会であることを覚悟しています。
でも時々、想像してしまいます。数ある場所の中で何故そこに生まれついたのか。他の場所であれば、種を飛ばすまで無事でいられたかもしれない。ニンゲンと同じで、自分で生まれる場所を選べない。でも彼らはそこで、芽を出した場所で、摘み取られる瞬間まで、生きる。
なんてな風に、勝手に彼らの運命を想像したりして、無事だと分かるとこっそり喜んだり、消えていたりするとちょっと切なくなったり…。
たかが(?)スキマ草に一喜一憂しつつ、妙な想像力を働かす。困ったような、それはそれでありなような…。今日は馴染みのドクダミ草が消えていたので、少しメランコリックな気分になっています。はは…。
I found that a group of the doku-dami I knew and lived at around a manhole was disappeared. I was s bit shocked because I looked forward to see their flowers. There were still their small leaves coming out of the ground, so they could re-grow up and I can see other doku-dami anywhere. So, it’s not the ending. But, about the doku-dami living at the manhole, they might imagine that if they would have been born in another place, they could have survived? I feel for them...
*I’m not sure if my English grammars are correct.
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