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四季と自然とはりんこの花菖蒲

季節の草花を撮り歩き 家では花菖蒲にボケてます

西軍副大将 宇喜多秀家

2023年11月04日 | その他




武将の陣跡をめぐる中、歴史を感じさせる杉並木を歩くと、まだ暑い秋の木漏れ日に澄んだ空気が爽やか。

西軍最大の兵17000を率いて天満山の南に陣を構えた宇喜多秀家



満天神社境内に陣を構え、攻め入る東軍と激しい戦いを続けた宇喜多軍。


旗印は先祖が治めていた児島という地名の「児」を付けたようです。
関ケ原古戦場記念館より

合戦に敗れ伊吹山麓に逃れたが落ち武者狩りの矢野五右衛門に捕らえられた。しかし秀家の潔さに感服した五右衛門は自分の
領地(今の岐阜県揖斐川町白樺地区)に匿った後 大阪・薩摩と3年の月日が流れ最後は八丈島へ流刑された。

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関ケ原合戦 烽火場と黒田長政と竹中重門

2023年11月03日 | その他

東軍の岡山(地元では丸山と呼ばれている)烽火場(合戦の合図を行った場所)





黒田長政の父は秀吉の軍師として仕えた「黒田官兵衛」です。けど色々あって東軍での参戦、功労者として大出世。
竹中重門の父も秀吉の軍師として仕えた「竹中半兵衛」で、半兵衛は黒田長政にとって命の恩人です。
(黒田官兵衛を裏切り者と勘違いした信長は秀吉に息子の長政の処刑を命じたが半兵衛の妙案で助かった)


関ケ原駅から5分くらいの場所から望む岡山(丸山)烽火場

同じ場所からの関ケ原古戦場記念館

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待望の冠山トンネルいよいよ来月開通

2023年10月29日 | その他

関ケ原合戦シリーズはちょっとお休みして、東海北陸地方のみなさん待望の冠山トンネルの最新情報です。

11月29日現在の岐阜県側 トンネルの正式名称は「塚  宮ヶ原トンネル」です。


現在 国道417号線は冠山への塚林道手前で途絶え福井県の池田町から復帰していますがこれで北陸へ高速道路を使わなくても行ける
尚且つ時間短縮されます。ただ数えきれないほど冠山登山の経験者として11月19日 この地域は冬に入っており、いつ雪が
降っても不思議じゃない季節です。暖冬だった前回の冬でも1m以上の積雪がありました。ですからスノータイヤの装着は必須と
思われます。北陸の人たちは雪に慣れておられるのでこの時期ならスノータイヤに交換されているはずなので問題はないと思います。

なぜ17時より開通なのか?(管理人の推測ですが)岐阜県側の新しいR417号線「塚  宮ヶ原トンネル(冠山トンネル)」手前にある
「塚 白椿隧道(トンネル)3330m」との距離は約150mしかなく、開通待ちの車がトンネル内まで繋がると不慮の出来事が発生する
可能性があるからだと思います。

上の写真、3330mのトンネル片側通行はかなり厳しいと思われますが、正確に表示されていないのは、この時期 徳山ダム
周辺の山紅葉がピークを迎えるため来週11月3・4・5日の連休は点検が行われないと思います(あくまでも管理人の推測です)


10月29日の徳山ダム湖から見た山紅葉です。(徳山ダム以北の山紅葉は来週からピークを迎えます)

何年か前11月14日の徳山ダム湖と山紅葉ですが低山に積雪があります。

徳山ダムの手前に横山ダムがあり、そこから417号線は細い道に無理やりセンターラインが引いてあるカーブの連続でトリッキーな
道がしばらく続くので、キープレフトで走行しないと対向車と衝突の可能性もあります。トンネルが開通したことでトラックなどの
通行も増えるはずですから強引な運転は事故(山にぶつかるかダム湖に落ちるか)の元ですから、カーブの連続する道に慣れていない
人は助手席の方が良いでしょう。

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豊臣の恩義を忘れなかった東軍の武将 福島正則

2023年10月28日 | その他

約6000の兵を率いて宇喜多秀家(約17000)と激突、苦戦ながら粘りの戦いを見せた福島正則



「静ヶ岳の戦い」を始め秀吉の天下取りを支えた「静ヶ岳の七本槍」と呼ばれた武将の一人(七本槍はラッキー7の元祖)だったが
秀吉亡き後、現場第一主義の福島正則は官僚頭の石田三成と対立し、関ケ原合戦では東軍として参戦した。家康から活躍を認められ
広島城主になったが豊臣家への恩義は忘れず、それを察した家康は「大阪冬の陣・夏の陣」への参戦を許可しませんでした。

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歴史を変えた世紀の裏切り者

2023年10月22日 | その他

関ケ原には戦国ロードと呼ばれる道があり、町内を迂回するバイパスで普段は大型車が多く走っております。


今回は小早川秀秋です。


道の7割くらいは楽ですが最後の3割がきついです。

他にでっかい幟が立っているのは徳川家康と石田三成だけです。


石田三成の陣、徳川家康の陣と烽火も合戦状態すべてが見渡せる松尾山で戦況を眺めていた小早川秀秋



293mの松尾山は低山の割に見通しが良く三等三角点になっています。
 関ケ原古戦場記念館より
長浜で生まれ秀吉の養子となり豊臣家の継承者の一人とみられたが秀頼が生まれたことにより小早川家の養子になり備前国の主になる。
東軍勝利の立役者となったが、後に東軍の武将たちからも「裏切り者」の烙印を押され21歳の若さで亡くなる。9歳のころから酒を
飲み12歳のころにはアル中になっていたとの記述がある。

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