予告通りw、第6話における高橋克典さんのエピソードに号泣しました。認知症の母とか、父の死とか、今の自分にとって最も感情移入しやすいテーマです。
高橋さんのお母さん(草村礼子)が徘徊を繰り返すのは、海外を飛び回る夫からの手紙を、ずっと待ってるから。その夫はもう他界してるもんで、息子の高橋さんが鳩子(多部未華子)に代書を依頼し、その手紙によって徘徊が収まるっていう展開は、まぁ容易に予想出来るし、それ以外の展開はまず考えられません。
にも関わらず泣いちゃう。観る前から、想像しただけで泣いちゃうんだから、そりゃ実際に観たら号泣するに決まってますw しかし、よもや第6話まで引っ張られるとは!w
これがTBS「日曜劇場」あたりのドラマだと、押しつけがましい泣かせ演出で逆に冷めちゃうんだけど、本作がそうでないことは既に分かってますから、身構えること無く安心して泣けるってもんです。
我々視聴者だってバカじゃないですから、そのストーリーが最初から「泣かせ」ありきで組み立てられたものか、ただ純粋に伝えたいことを真摯に伝えてるだけ(泣くのはあくまで、その結果)なのかぐらい、本能的に嗅ぎ分けます。
これはもう、ドラマの創り手と我々視聴者、送り手と受け手との信頼関係です。例え視聴者を泣かせたい意図が両作品とも同じだったとしても、そこに視聴者との信頼関係が築かれてるか否かで、結果は大きく違って来ます。
こんなこと、いくら書いたところで、日曜劇場で毎週気持ち良く泣いてらっしゃる方には意味不明ですよねw 別に日曜劇場で泣くのが悪いとは言わないけど……
それはともかく、鳩子が一体どんな手紙を書いて事態を収束させるのか、今回も興味深く観させて頂きました。
「いつも見てる」っていうセンテンスに、お母さんは安心した様子です。たぶん、夫がもうこの世にいないっていう事実を、頭ではちゃんと理解してたんですね。
それでお母さんの徘徊が治まったのか否か、結果をあえて語らないのも良かったと思います。わざわざ言わなくても分かることです。
代書屋の仕事はやっぱり、小説や脚本を書く仕事とよく似てます。言わば他人になりすまして嘘をつくワケだけど、心にも無いことを書くとその嘘はバレてしまう。そう、日曜劇場みたいにw
作者がちゃんと登場人物の気持ちを理解し、自分自身の気持ちとリンクさせて書かないと、読者や視聴者には伝わらない。第1話で鳩子が初めて手紙の代書をした時、全然ハートがこもってないって、クライアントに叱られましたよね? それが(私から見れば)日曜劇場の脚本ですよ!w
ドラマの脚本を書く作業は、視聴者に向けて手紙を書くのと同じなんです。ただ小手先で視聴者やスポンサーの機嫌を取ろうとしたって、我々はまるっとお見通しだ!ってワケです。スポンサーのお偉いさん達は騙せても、視聴者は騙せません。
……って思いたいけど、日曜劇場が高視聴率を稼いでる現実を見ると、やっぱ破滅と言わざるを得ませんね。破滅です。決して日曜劇場だけが悪いワケじゃないんだけど、あれが今一番分かりやすい、小手先「泣かせ」ドラマの典型です。
その対極にあるのが、この『ツバキ文具店/鎌倉代書屋物語』。もちろん、技術も凄い! けど、それ以前に、ちゃんと心がこもってます。嘘だと思うなら観てみるでござる。