屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

詩集「琴しぐれ」夕愁白嶺 <雨の日>

2021年10月09日 | 琴しぐれ

<雨の日>

傘さしに
狭い坂路を
降りしきる雨露は
いっか筋なし
ちょろちょろと軽げに
長靴を通り過ぐ

くもる空は鈍く
雨の音はそぼそ
結葉の滴つ音
歩り交う白露

坂路の途中に枝なす桜
白布を染める薄紅の淡き
透き小花むれなし枝々
その糸雨にいよよ彩なす

芦別:「三段の滝」

京都の建仁寺大統院

2021年10月04日 | 琴しぐれ


 わたしは遊女よ昼の灯を点し      時実新子

 一つ家に遊女も寝たり萩と月      芭蕉

京都の建仁寺大統院 で遊女にまつわる講演がおこなわれました。
講師の出身は旭川市(第六期旭川東高卒)ですが、生家(4条15丁目)は売春禁止法が施行されるまえ、いわゆる色町のど真ん中にありました。
幼いときから思春期まで、そんな環境のなかで育ったわけです。

ちなみに講師は詩集「琴しぐれ」の著者・夕愁白嶺です。



詩集「琴しぐれ」夕愁白嶺 <四月の故郷>

2021年10月03日 | 琴しぐれ
<四月の故郷>

新設の宴はうれしきや
鎌取り始め土の香に
酔へる四月の今は春
かぐわし若菜 新草の
田畑に芽吹き広がりて
黄緑しみるよ初々と

いま故郷は鹿の子地の
色なす頃となりにけり
雪片流るる石狩川
その川岸は若緑
土筆 蒲公英萌え出でて
童女は摘む髪さしに

雪肌汗ばむ故郷は
四月の日和りたゆたいて
水気陽炎起ちゆらぐ
軒をかすめる南風に
尾根の下の滴つ音を
春告げ鳥の鳴き音とぞ

車路 端路なめらぎて
来にけり街路樹や
新下騎の音の鳴り始め
自転車の横ぎるはずみめに
四条あたりを歩み行く
素足に軽き薄れ微風


札幌駅

詩集「琴しぐれ」夕愁白嶺 <六段時雨>

2021年09月26日 | 琴しぐれ

ベランダから手稲山を眺める
 <六段時雨>

緒琴の調べはかなくも
煙り立ちて涙あり
何時また目見えん恋故に
汝は淋しと奏でるわ
時雨は心を痛めつく

かの六段の節歌う
悲しい小声を固くならば
二人は会えぬ運命とぞ
汝は知らずやこの花の
短く消ゆる糸切れを

そは苦しみの雨滴り
思えば恋はにがきもの
淡き逢瀬も消え絶えて
心に残るかの夜こそ
吾身に煙る初時雨


手稲山の登山口に「平和の滝」があって、札幌でも有名な心霊スポット。秋になると川べりに大文字草が咲いて滝の落ちる音しか聞こえない静かな時間を過ごせるかもしれない。
ただ、スズメ蜂の巣にご用心!

詩集「琴しぐれ」夕愁白嶺 <浮寝は楽し>

2021年09月19日 | 琴しぐれ


<浮寝は楽し>

浮寝は楽し山里の
昨日も今日も西空が
真赤にもえて消入りぬ

浮寝は楽し山里の
唐松林ふれ歩み
漂う松香に酔いしれぬ

浮寝は楽し磯浜の
砂地に残す足跡を
寄せる白波消しならす

浮寝は楽し磯浜の
千鳥の声の波に散り
汀にゆきつもどりつす

浮寝は楽しひとりみの
朝に出でて夕べに返り
春に廻りて秋に彷徨う

写真:詩集「琴しぐれ」の著者・夕愁白嶺氏夫妻

詩集「琴しぐれ」夕愁白嶺 <みかんと私>

2021年09月17日 | 琴しぐれ
<みかんと私>

手にとった。
みかんが私にうったえた
死にたくないとうったえた
みかんと私とにらめっこ
私のおくにとびこんだ
どうともしろとはきすてて
そっぽを向いたらそのときに
みかんは私にこういった
おちつけおちつけあわてずに
私をよおっく見てみろと

いまいましいからこのやろと
にらみつけたそのときに
私ははっと気がついた
大きな手落に気がついた
みかんのなにかを知らぬまに
みかんを殺すとこだった
私はみかんにあやまった
ついでに礼もいっといた
みかんがぽつりと口をきく
どうやらやっと解ったね
みかんと私と顔合わせ
にっこり にっりほほえんだ
みかんと私と手を握る

「映像で見る60年ののち」にフォトムービー「夏の終わりのハーモニー」をアップした。もうすぐ八十歳。