屯田物語

フォレスターとα6000が
旅の仲間
さあ、カメラを持って
出かけよう!

ツツジの愁い

2005年05月25日 | 
   五月の雨
   躑躅の憂い
   躑躅の愁い 

   追想の遠く
   追想の儚く

   五月の雨、走り梅雨


   赤いつつじ
   白いつつじ
   ぽつりぽつりと
   咲き始む
   ためいきや
   ひとりごと        白嶺


北大植物園のツツジです。
ツツジもたくさんの種類があって、とても見分けつきません。
わたしは春浅い時期、 エゾムラサキツツジ のやわらかな
たたずまいが好きです。

クロフネツツジ
大輪の花が見事です。
でも少し時季が遅かったので、女盛りを過ぎてしまいました。



ムラサキヤシオ・ミヤマツツジ



ミツバツツジ



レンゲツツジ
花の大きさではツツジの中でも最大とのことです。
まだ蕾なので、花期は6月でしょうか。


春は白樺花粉症

2005年05月17日 | 
   もろもろの目の美しさ 男の眼    時実新子

わたしにとって、春は花粉症の季節でもある。
北国なので杉ではない、白樺である。
目はかゆいし、涙がでる。
女のうるうるした目は、可愛いかもしれないが、
花粉症で荒れた男の目、アレルギー性結膜炎のような”うさぎの目”は
生なましく、現実的である。

北邦野草園の野花です。
ニリンソウ
少し、ボケてしまいました。


エゾノイワハタザオ
直立している茎を旗ざおに見立てたとあります。


タチツボスミレ
・・と思いますが・・


北大植物園の水辺

2005年05月04日 | 
沢ぞいの流れのふちに、鮮やかな黄色い花を咲かせる。
北国の春を告げるエゾノリュウキンカである。
葉は食べられるが、これは食用とするには惜しい。
どうか、採らないで、じっと見ているだけにしてほしい。

北大植物園の水辺、
水芭蕉とともに咲いている姿は、華やかさと清楚な雰囲気を
かもしだしている。

   やちぶきの
   黄金色の肌
   艶めいて







エゾムラサキツツジ

2005年05月02日 | 
北海道の212市町村のうち70市町村がツツジを「まちの花」に制定している。
網走、美幌、置戸、本別、士幌、留辺蕊の道東の市町村や富良野、丸瀬布、朝日
などの市町村もエゾムラサキツツジを「まちの花」としているのだ。
春一番に咲きだす鮮やかなムラサキの花は、誰でも好きにならずにいられない。
なお、「まちの花」の第二位はハマナス、第三位はスズランである。

   つつじには
   はや咲き始む
   うれいあり


北大植物園
まだ、ツツジの時季には少しはやいと思うのだが






やちぶき

2005年05月01日 | 
ちょうど一年前。
旭岳ロープウエイ駅裏の湿地帯で君と会ったことは忘れられない。
あの、魅惑的な肌の艶やかさはまさに天上の星であった。

植物園の水辺で写真を撮っているとき、わたしの横に人影がさした。
柔らかな風にのって、透き通るような声が語りかける。

「あの黄色い花はなんといいますの」
「エゾノリュウキンカ、別名やちぶきというのですよ」

彼女の影はうなずいたようであった。
花について浅い知識しか持たない、そんなわたしに一番好きな花の名前を
尋ねたのだ。
でも、どこかで聞いたことのある声、そして粘りつくような妖しい香り。
水面に映える春の日差しがまぶしい、昔の記憶が蘇る。
あっと思って振り返った。

「君は・・・」

人影はない。
あたりには、ただ、濃密なやちぶきの香りだけ。

   花の名を問う君の影匂い立つ
    水辺にそよぐ、やちぶきのよう






秩父事件

2005年04月25日 | 
秩父事件は埼玉県秩父地方で1884年(明治17年)に起きた民衆蜂起である。
秩父事件の指導者、井上伝蔵は 死刑判決後、北海道に逃れ、石狩を経て北見で
1918年(大正7年)に没する。
死の間際まで、自分が秩父事件の首魁であることは伏せていた。

井上伝蔵は秩父事件の中心部隊「秩父困民党」の会計長だった。
伊藤房次郎と名前を変えて石狩で代書屋を開業していたらしい。
それで稼いだ資金を元手に、小間物兼文房具屋も営み、「柳蛙」の号で句会にも
参加した。

石狩市の弁天町に彼の句碑がある。
ともに戦った同士のおもかげを忘れられなかったと思う。

   俤(おもかげ)の 目にちらつくや たま祭 

分骨された遺骨が帰り、秩父で葬儀が営まれた。
事件当時、乙副大隊長の落合寅市が弔辞を読みあげると、涙を落とさぬ者は
いなかったと伝えられている。
「覚翁良心居士」―それが野中の墓石に刻まれた井上伝蔵の戒名である。

井上伝蔵の辞世の句?か。

   想いだす ことみな悲し 秋の暮

石狩弁天歴史公園


「たま祭」秩父の大宮神社のお祭りのことかと思うのだが・・




モエレ山

2005年04月23日 | 
きょうは朝から雨模様であり、気温も低い。
藻岩や手稲はどんよりした雲のおおわれていることもあって、
なかなか鬱屈した気持ちは晴れない。

日中、日韓関係はどうにも収拾がつかない状態が続いている。
反日デモで、中国の若者が大使館など日本の建物に投石を繰り返しているのを
みると、彼らの行動は怒りよりも哀れみを感じる。

モエレ山の雪はすっかりなくなってようだ。
晴れれば、モエレ沼公園まで行ってみたい。

   いつまでも
   耳鳴り消えぬ
   苛立ちに
   身をのりだして
   風の音聴く


ベランダから真東方向 
モエレ山の緑が懐かしい



ベランダから真西方向
手稲方面




石狩川

2005年04月20日 | 
真勲別川から分岐した運河と石狩川の合流地点です。
流れはゆったりと石狩川河口大橋を通過し、大きく右へ周りこみ、
河口へと向かいます。
右側の雑木林から、少し下流を歩いていくと湿地帯があります。
そこが水芭蕉の群生地です。

   蕩蕩たる石狩の悔恨重し
   その身をからめ波に沈めよ




   ここからは海となりゆく石狩の
   河口に立てば、立てば天啓


歌人の俵万智さんの歌です。
石狩川河口の近くに建てられたビジターセンターのホールに掲げられています。  
石狩川河口に広がるハマナスの丘公園と日本海の雄大さを快い響きで詠んでいます。




運河 赤い橋の左は篠路、右は国道231号(石狩街道)と交差します。



石狩川河口大橋から石狩川河口までの地図です。
先端の緑色の部分がはまなすの丘公園です。
(MSNJAPANの地図から転載)



石狩川河口大橋

2005年04月19日 | 
真勲別川から運河を通じて石狩川に流れる。
ここから、石狩川河口大橋をとおり、右に迂回して日本海にそそぐ。
運河と合流地点の川べりに水芭蕉が咲いていた。
ここは湿地帯ではない。
雪解けの水を得て芽吹いたと思うが、このままでは干上がってしまいそうな
危ういところにある。
本来の水芭蕉群生地は、ここからもう少し下流になるが、開花時期は
もう少しあとである。

石狩川の河口は近い、川幅はどんどん広くなっている。
夕暮れせまるころ、4月の風はまだ冷たい。

   川面越え
   風の寒さや
   水芭蕉


石狩川河口大橋が見える
水芭蕉の若芽はぽつり、ぽつりと咲き始めている


水芭蕉の群生地はもう少しだけ下流の地域にある。
ここは湿地帯ではない、
水芭蕉はこのままでは美しく咲くことができない。



防風林

2005年04月18日 | 
屯田と新琴似の境界に伸びる、約三キロメートルの「屯田防風林」。
強風から農作物を守ろうと、屯田兵がコの字型に自然林を残して作ったと
いわれている。
防風林にはポプラやヤチダモの木が植えられ、当時は風害から農作物を
守り、水田のための用水路も作られていた。


きょう、雨のなか久しぶりに屯田防風林に行ってきた。
車を公園内の駐車場に入れたとき、小雨が一転して霰、
顔にびしびしあたって痛い。
防風林を少し歩いたが、ところどころ雪が解けず、芽吹きには早い。
ふきのとうを期待していたが、これではまだ無理か。
落花の風情はない、霰は塩を撒いたようだ。

   春霰
   寝たる松葉を
   驚かし