iPad に挑戦? 2011年08月18日 | 日常 息子から譲り受けたiPadにiTunesを再インストールした。 Wi-Fi(無線ラン)やメールの設定などはアイフォンで経験しているから難しくない。 来週、中学のクラス会があるので、 今までのクラス会の写真と55年前の懐かしい写真など43枚をiPadに取り込む。 画像は大きくて鮮明、老眼であってもノンプロブレムである。 これで思い出話に花が咲くというわけだ。
ファーム富田 2011年08月17日 | 日常 中富良野の有名スポットといえば「ファーム富田」だが、 ラベンダーはすでにおわって、それでもたくさんの観光客で混んでいた。 この日は暑くて暑くてやりきれない、 したがって、そうそうに退散したのである。 「コーチャンフォー」で本を読みながら珈琲を飲んでいたほうがよい。
中富良野付近 2011年08月16日 | 日常 美瑛から少し走って中富良野あたりの丘を思いつくまま走ってみた。 丘にはこれといった色がなく、 季節の端境期というところかな、それなりに上手く撮るテクニックがあればいいのだが。
汗を流して! 2011年08月14日 | 日常 トリックアートのつづき・・ どれもこれも、どうみても絵画にはみえないだろうね。 毎日すごく暑い。 それでも夜になると案外と涼しい風が家のなかを抜けてゆくので、 クーラーがなくても大丈夫。 夏はやっぱり北海道がいいね。 さあ、お風呂にはいって汗を流すことにしよう。
サン・ピエトロのピエタ 2011年08月13日 | 日常 ミケランジェロの「ピエタ」 なんとも気品があって素晴らしい彫刻である。 聖母マリアの愁いのある表情は「モナリザの微笑み」に勝るとも劣らない。 でも、これは彫刻ではない。絵なのだ。 しかもトリックアート、どうみても立体的で3D映像をみているようだ。 あれ、この宗教画のなかに現代人が迷い込んでいるぞ!
「父と暮らせば」 広島風ジャンケンに泣いた! 2011年08月10日 | 日常 韓流ドラマばかりじゃない。 地デジになって、デジタルもBSも画質は断然よくなった。 反面、バラエティやクイズ番組などタレントのばか騒ぎはまったく見る気がなくなってしまった。 山田洋次監督が選んだ日本映画百本。 「父と暮らせば」 昭和二十年八月六日、広島に原爆が投下された。 なぜ、広島・長崎とふたつの原爆を落としたのか、アメリカは日本をモルモット代わりにしたのだと思っている。 父と娘のジャンケン(広島ではなんというのか)のシーンには泣けてしまった。 もともとは井上ひさしによる舞台作品。原爆投下後の広島を舞台にした二人芝居であった。 映画化されたことによって、たくさんのひとがテレビで見られるようになった。 嬉しいことである。 義弟の一周忌・・ その合間をみて美瑛の丘に寄ってみた。
韓流ドラマの是非 2011年08月09日 | 日常 フジテレビの韓流ドラマの是非についていろいろと姦しい。 制作費が安い、視聴率がとれる、韓流ドラマが多い理由はこの二つである。 視聴者は気に入らなければ見ない、ただそれだけのことである。 しかし、金がかからないからといって質のわるい番組ばかり流しているテレビ局の将来はまことに暗澹たるものである。 赤レンガ・・ 睡蓮の鮮やかな赤がひときわ目を引く。
毛無山の展望台 2011年08月08日 | 日常 終戦記念日を意識したのか、 どこかの番組でこんな街頭インタビューがあった。 「あなたは国のために死ねますか」 藪から棒にこんなこと聞かれても困惑するが、 ただ、40歳位の男性曰く・・ 「(日本は)自分の命に替えるほどの国じゃない」 いろいろな考えはあるにしても、 こういう斜に構えて発言する奴はとても利口そうにはみえない。 少なくともトモダチにはなりたくない。 毛無山から小樽の町を眺めていた。
カインの末裔 2011年08月07日 | 日常 羊蹄山はニセコのどこからでも眺められる。 それでも、ここから見る羊蹄の姿が好きで、ニセコへ来たときは必ず東山へ立ち寄りたいと思っている。 ミルク工房では二色アイスクリームを食べよう! わたしの好みは抹茶とミルク。プリンも旨い。 今日は残念ながら雲があって羊蹄の頂がみえない。 有島武郎の「カインの末裔」 仁右衛門と女房がやせ馬を連れてよろよろ歩いたところがこの辺りと勝手に思うことにした。 ・・北海道の冬は空まで逼っていた。蝦夷富士といわれるマッカリヌプリの麓に続く胆振の大草原を、日本海から内浦湾に吹きぬける西風が、打ち寄せる紆濤のように跡から跡から吹き払っていった。寒い風だ。見上げると八合目まで雪になったマッカリヌプリは少し頭を前にこごめて風に歯向いながら黙ったまま突立っていた。昆布岳の斜面に小さく集った雲の塊を眼がけて日は沈みかかっていた。草原の上には一本の樹木も生えていなかった。心細いほど真直まっすぐな一筋道を、彼れと彼れの妻だけが、よろよろと歩く二本の立木のように動いて行った。