仏教日記(5)
身・口・意の三業について、意を制御する修行は
無理にするのは危険である.そもそも、上司を
実際にぶん殴れないから、想像の世界でぶん
殴って、ストレス解消をしているわだから、こ
の天国の境地を捨ててはいけない.
しかし、その憎たらしい上司のことを、
「ああ、あの人は前世でぼくがさんざんいじめて
きた後輩だったのだ.だから今生は、何を言って
きても堪え忍ぼう.」という気持ちが芽生えた
ときに、やっと実践するもので、かなり難易度
が高い修行になると思う.
ただ大事なことを付け加えて言いますと、犯罪の
ほとんどは、過度な思い込み、過度な想像を繰り
返し想念に入れることで、無意識に体が勝手に
動いて、やってしまうということがある.つまり、
「思うこと」は「練習すること」でらり、やはり、
ストレスにならない程度に、意(こころ)は
あまり、勝手気ままにさせておかないことは大切
だと思います.
何事もほどほどに!
【結論】意(こころ)は、やれる範囲で自制しましょう.
ただし「思うことが口に出る」「普段思っているとつい
手が出てしまう」という自分への戒めを忘れずに
ただし進むべき方向は「心にも悪をなさず、悪事を思わず、
悪の場面を想像で作り上げてよろこばず」ということは間
違いのないことです.
サニュッタ・ニカーヤ「神々との対話」に、雨雲の娘の説
いた真理があります.
第10節 雨雲の娘(その2)
1.わたしは、このように聞いた.あるとき尊師は、ヴェー
サーリー国のうちの大きな林のうちにある高い楼閣に住して
おられた.
2.そのときに、雨雲の娘なる小さきコーカナダーは、夜が更け
てから、容色うるわしく、大きな林を遍く照らして、尊師の
もとにおもむいた.近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに
立った.
3.傍らに立った雨雲の娘なる小さきコーカナダーという神は、尊
師のもとで、次の詩をとなえた.
「雨雲の娘、コーカナダーが、電光の色も鮮やかに、ここに参りまし
た.————
ブッダと真理に敬礼しつつ.
意義深きこの詩をとなえたてまつる.
わたくしは、その真理を、多くのしかたで詳しく説くことができます
が、真理はそのようなものです.
わたくしが心のなかで理解し得た限り、その意義を要約して語りまし
ょう.
世の中のどこにあろうとも、ことばでも、心の中でも、身体によって
でも、いかなる悪をもつくるな.快楽を捨てて、心を落ち着けて、気
を静めて、禍いをともなう苦悩を受けるな.」
いかがでしたか.
つまり心に描いただけの悪でも、禍いとなり、苦悩を受けるのだと
この神様はブッダの前で真理を語り、それを奉納しました.
もちろんブッダは哀愍納受されました.
真理はブッダが語るときもありますし、神が語ってブッダが嘉する
ときもありますし、お弟子さんが真理を語って、ブッダが善哉かな、
と言って讃えるときもあります.
ここでは雨雲の娘が、悪は心に思うだけでも禍があると、真理を語っ
ています.
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