HASSY局長のハサカル日誌

伊勢志摩バリアフリーツアーセンター事務局長HASSYが
日々のハサカル(気になる)出来事など記録していきます。

若年性認知症講演の報告(長文)

2008-12-24 10:03:21 | 講演・視察
先日お知らせしました、若年性認知症の講演会へ行ってきました。


(社)認知症の人と家族の会 三重支部の泉さんも家族が認知症で介護されていたそうです

最初に介護体験発表が2例あり、その後伊刈弘之先生の講演でした。

はじめの体験発表は、旦那様が46~47歳ほどから普段言わなかった仕事のグチを言ったり、鍵の場所や時計の場所、大型スーパーで自分の車を停めた場所を忘れるなどの症状が出始めました。
が、軽い物忘れ的な感覚でいたようです。

それらは、今に思えば…で、まさかその時、認知だなんて思いもしなかったとか。
その後、食事の用意をして、テーブルの上におかず(家族分)を置いた先から、自分一人で全部ペロリと食べてしまうなど行動がおかしくなり、かなり奥様は戸惑ったそうです。
仕事場でも簡単な計算が出来なかったり、文章がつくれなかったりと、症状が出ていたのだそう。

そうなっても、認知症とは考えに及ばず、心療内科では不眠症だと言われ、精神科ではうつ病だと言われながら病院を転々とし続け、オカシイ、オカシイと思いながら時が経っていったそうです。

現在58歳。
自力で動けなくなっている。
体ひとつ動かすのにも脳の指令がなければ、立つことも手や指を動かすことすら出来なくなるのです。
自力で動けなくなったことよる介護よりも、それまでの病気なのか?そうじゃないのか?悩み続けた闘病生活…、話を聞いているだけでも辛く大変だったことが伝わります。
こうして体験談を話せる時がくるなんてという時期もあったでしょう。


グラフのように、何もしなければストンと悪くなる症状も、薬で緩やかに

最初の診断でもっと早くに「若年性認知症」だということが分かっていれば、いまや、完治することはできなくても、症状をゆるやかにする薬も出てきている時代です。
早期に専門医に見てもらえるような環境が必要だと実感しました。


2例目は友人です。
友人の母は64歳で発症しました。
それまでの友人も波乱万丈の人生を歩んできていて、丁度お母さんが発症するちょっと前に友人自身が結婚して半年で旦那様が事故で他界しています。
そのお葬式のとき、母が彼女に言った言葉…「あんた喪服よう似合うなぁ」。

実娘が失意の中にいるというのに、そんな声掛けって…。
でも、そのころから症状が現れていたのでしょう…、きっと。

お母さんの病名は「初老期老人性アルツハイマー型痴呆症」(若年性認知症)と診断されました。
友人のご主人が亡くなり、お父さんも介護疲れで倒れ、友人は実家へ戻りました。

その頃から介護生活が始まりました。
お母さんの症状はエスカレートし続け、まったく眠らない日(お母さんが寝てくれない)が何日も続き、それらに付き合うのに、身体に疲労が…。
初期症状のころは、お母さんも仕事を続けていたようですが、仕事場でのトラブルも絶えないので、退職をさせたようです。
でも、本人は働く意欲があるため、新聞の折込で求人募集を見つけては、履歴書を送りまくるため、お母さんに折込を見られる前に処分するのが大変。


お母様の作品。一日中絵を描いたり、歌ったり…

その頃は介護保険などもなく、老人ホームはあっても、若年の方が入れるような施設はなく、自宅で看たり、精神科へ入院したり…。
もちろん、働き盛りの年齢である友人は働きにもいけず…。

お母さんは昔からバリバリに働くキャリアーウーマンで、プライドも高く、家族も省みず単身赴任勤務だったことも…。それだけに、娘としては、母への印象はあまりよくなく、複雑な思いで介護をしていたのだとか。

気分転換に出かけた母とのドライブで、トラブルがあり、介護に疲れて、このまま高速道路を逆走して突っ込もうかと思う時もあったという。
介護ってのは、本当、人の正常な精神を狂わせ、追い込むものなんだと思う。

現在は施設に入り、落ち着いているようで、彼女も安心して働きにいけるようになりました。
そんな苦労した彼女の話の中で印象に残っている言葉があります。

「ぼけても心は生きている」

感情がなくなってしまうのではなく、逆に感情が表全面に出てしまう。
楽しいとき、悲しいとき、辛いとき、嬉しいときは、どんな状況に関わらず、そのまま現れるのです。

悲しいとき、辛いときには、きっと原因がどこかにあるはずなので、そんな気持ちにさせないことが大切なんだそうです。


最後に締めくくりとして伊刈先生のお話です。
医療法人さわらび会 福祉村病院の副院長です。
老年科専門医、指導医、老年精神医学専門医、指導医の専門医です。

1時間30分あまりの講演。
とてもわかりやすく、そして認知症の患者さんに対してどのように対応すればいいか?ということ具体的にお話していただけたので、大変ためになりました。

ご存知だと思いますが認知症は以前、痴呆症と呼ばれていましたね。
認知症には「若年期」と「老年期」があり、「若年期」は65歳以下を言います。
認知症の中にも細かく分かれており、アルツハイマー型、脳血管性、びまん性レビー小体病などもっともっとたくさんあります。
その中でも脳の細胞が死に、萎縮していくのがアルツハイマー型といわれ、認知症の全体の50~60%の人がその症状。

アルツハイマーが発見されて100年経つけれど、どのような段階を経て脳細胞が死んでいくかということは解明されていても、「原因」が解明されていないのが今の医学です。

初期症状での、病状発見は「判断間違い」を元に調べていくそうです。
10ある項目の中、1~2回間違えるのはまだ大丈夫ですが、この判断間違いの数が増えてくると、病状が重くなってきた証拠。
服を脱ぐことを嫌がったり、一時間や半日などスッポリ記憶が抜け落ちることも…。
想像つきますが、若い人ほどその進行は早い。


接し方は大変ためになりましたが、実践するのが大変です

周りの対応としては、やさしく接するのが一番らしい。
認知症の方は違う世界で生きているということを理解し、相手のストレスにならないような環境を作ることが大切なんだとか。
にこやかな表情、明るい笑顔、楽しそうな雰囲気を常に心がける。
怒る、叱る、訓練や教育をしようとする、馬鹿にするというような態度はNG。
怒っても、叱っても病状は改善しません。

何度同じことを聞かれても、とんちんかんなことを言われても、介護者は「役者に徹する」ことが一番治療にいいそうだ。
なんて、言われても、なかなか家族となると難しいことなんですよね。

先生も言っておられましたが、いくらプロでも、他人にこのような態度を取れても、家族には出来ない方が多いそうです。
だから、家族で看るのがいいか、悪いかもその家族関係よっても違ってくるのだとか。

先生の話の中には、たくさん具体的な事例をもとにお話をしていただく中で共通していたことは、「早くの認知症を診断をしてもらうこと」だそうです。
認知症は病気です。
だから、薬で症状を緩やかすることができますし、家族の理解をつくり、最良な治療が出来てくるはすなのです。
事例の中には、病気を病気と理解できずに離婚や家族崩壊へとつながって行く例もたくさんありました。
早期発見さえしていれば…ということたくさんあります。

そして、その中で私たちバリアフリーツアーセンターができることって…。

介護する家族の方、治療されている当事者の方たちにストレスを生じてきたときに必要なのが「リフレッシュ」だそうです。
介護に疲れたり、当事者のストレスが現れてきているようなら、「環境を変える」ことも大切なのだとか。
それって、旅行も考えられますよね?
そんなときに、ツアーセンターを上手く利用してもらえたら。
そして私たちも、認知症患者、その家族たちのニーズにこたえられるような情報を提供していかなければと、これからが勉強だと感じました。

まだまだ勉強することはたくさんあります。

1月18日(日)にも松阪市産業振興センターにて同じような講演会が開催されます。
興味もたれた方は、ぜひ、行ってみてください。

お問合せは
(社)認知症の人と家族の会 三重支部(伊賀市) 0595-24-4545まで