いくつかあるお気に入り写真の一枚です。足元の白線がプラットフォームで、単線のレールがあるだけです。駅舎はなく、バス停のような一坪ほどの雨よけの屋根とベンチがあります。無人駅で改札口もありません。道路から直接ホームに出るようになってます。これは中国山脈を越えて津山と鳥取を結ぶ『因美線』の鳥取県側の「はじ」という駅です。いまでは大阪から姫路 ⇒ 姫新線 ⇒ 《智頭急行》 ⇒ 鳥取(一部は倉吉まで)に『スーパーはくと』が走り、2時間余りで結ばれてしまうので、因美線は日に数本しか列車の走らないローカル線になってしまいました。
しかし昔は『みささ号』という急行列車が大阪から『上井』(「アゲイ」と読みます。いまでは『倉吉』という駅名になっています)まで因美線を走っていました。その頃帰省のたびに通過したのが『土師駅』とか『奈義駅』です。鳥取から中国山脈を越えるときは今にも止まりそうな速度で上っていきます。寂しそうな土師駅とか奈義駅を通過するときは、ホームの駅名や人の顔がはっきり見えるくらいです。そして県境のトンネルに入り、途中からぐんぐんスピードが上がります。トンネルを出ると美作の景色に日が照り、列車はすごいスピードで走り、気分までちがいます。
でも年老いたいまは陰鬱な山陰の空とこの景色の寂寥感をなつかしく感じるときがあります。ですから敢えて大判でアップしました。9月。稲刈り前の田んぼが広がり、右手にはコンバインで稲刈りをしている人がいる。向うの山すそには民家が散らばり、何百年も人々が暮らしてきた。そんな村までとぼとぼと歩いてみたい。
この村に生まれ、勤め先の田舎町まで通勤するために毎朝列車をこのホームで待ち、向かいの山を眺める。都会に憧れる若者の焦燥感。苛酷な人生に打ちひしがれた人の絶望。そんなものを黙って抱きとる山山。
やっぱり田舎っていいのかもしれませんね。
きのうは朝は水やりに42ミリホースで格闘し、夕方は黒大豆の『マイカ線』を張りました。コイモはまだ水が必要な様子なので、耕運機で畝間を掘り下げ、コイモプールをつくることにします。道子さんはムシ防除に打ち込んでおり、強力なニンニク・アセビ混合液で芯食いムシなどを阻止しようとしています。小豆の防風ネットはまだ効果がわかりません。