年のせいでしょう。2冊同じ本を買っていました。一つはきのう紹介した『ニコバル諸島戦記』、もう1冊が『ラサ島守備隊記』です。どちらもあの戦争で召集され、戦った兵士の記録です。まったく知らない島のことなのに、どんな縁があって同じ本を2冊買ったのかわかりません。でも読んでブログで紹介し、「読んでみよう」と思われる方に送るつもりで書いています。よろしく。
あの戦争では、南洋の島々で日本軍の兵士が過酷な戦いを強いられました。ガダルカナル島、サイパン島、ペリリュー島、フィリピンのルソン島レイテ島など多くの島で日本軍は戦い、飢え、玉砕しました。しかし『ラサ島』というのは聞いたことがありません。どこの島かと読む前にネットで調べてみました。
ラサ島は日本の領土です。日本名は『沖大東島』といい、面積1平方キロ余の、サンゴ礁でできた、小さい小さい島です。天気予報で台風の進路を報道するときに、『大東島』という名前を耳にすることがありますが、どんな島かほとんどの人は知りません。でも北大東島には700人、南大東島には1400人の日本人が暮らし、サトウキビをつくっています。沖縄から飛行機も飛んでいます。
この南・北大東島から150キロ南に「ラサ島」はあります。絶海の孤島という名のよく似合う無人島です。この島はラサ工業という会社の私有地で、戦前・戦時中はリン鉱石を採掘しており、2000人の人が働いていたときもありました。地表は削られて緑はほとんどなく、鉱床のむき出しになった島でした。
昭和19年、アメリカ軍は日本を攻める足がかりとして、南西諸島最南端の沖大東島を、まず占領するだろうと予測し、守備隊を置くことになりました。その守備隊は、何の軍事施設もない小さい島で、アメリカ軍の上陸を阻止し、玉砕するしかありません。その『玉砕引当部隊』220名の隊長として戦った、森田芳雄さんの戦記です。
森田芳雄さんは、大正元年生れですから昭和19年といえば33歳です。妻も子もある身で二度目の召集を受け、ラサ島守備隊長を命ぜられました。彼は「お前たちを傷ひとつなく無事に日本に帰らせたい」と部下の兵士たちに言い、陣地を築き、民間人は退去させ、兵士たちを敗戦まで守り抜きました。
彼は敗戦時、上部からすべての書類を焼却する指令があったときに、ひそかに部隊の陣中日誌を隠し持って帰郷しました。それをもとに記した本ですから、日々の様子がよく描かれています。まず昭和48年にどこかの出版社で出された本で、平成7年になって河出書房から再版が出され、今年になって光人社NF文庫として出版されました。
この本はなぜ、こんなに息が長いのか。どうして今ごろになって文庫に入れられたのか。華々しい戦闘が描かれているわけでも、ドラマチックな感動秘話があるわけでもありません。
「隊長というものは、部下を大切に思うべきだ。それが一人一人の力を最大限に発揮させることになる。その最大限の力を合わせて全体の力を最高に高めるのが隊長の仕事だ。」という気持ちが、孤島での戦闘と日々の暮らしの底流に流れているからでしょう。
手柄話や被害者物語はやがて消えます。でもヒューマニズムに根を下ろした、いわば「人間と人間が真正面から向き合い、信頼し合い、力を合わせて仕事をした」物語は、生きていきます。
人間はそういう心をもった動物なのですから。
あの戦争では、南洋の島々で日本軍の兵士が過酷な戦いを強いられました。ガダルカナル島、サイパン島、ペリリュー島、フィリピンのルソン島レイテ島など多くの島で日本軍は戦い、飢え、玉砕しました。しかし『ラサ島』というのは聞いたことがありません。どこの島かと読む前にネットで調べてみました。
ラサ島は日本の領土です。日本名は『沖大東島』といい、面積1平方キロ余の、サンゴ礁でできた、小さい小さい島です。天気予報で台風の進路を報道するときに、『大東島』という名前を耳にすることがありますが、どんな島かほとんどの人は知りません。でも北大東島には700人、南大東島には1400人の日本人が暮らし、サトウキビをつくっています。沖縄から飛行機も飛んでいます。
この南・北大東島から150キロ南に「ラサ島」はあります。絶海の孤島という名のよく似合う無人島です。この島はラサ工業という会社の私有地で、戦前・戦時中はリン鉱石を採掘しており、2000人の人が働いていたときもありました。地表は削られて緑はほとんどなく、鉱床のむき出しになった島でした。
昭和19年、アメリカ軍は日本を攻める足がかりとして、南西諸島最南端の沖大東島を、まず占領するだろうと予測し、守備隊を置くことになりました。その守備隊は、何の軍事施設もない小さい島で、アメリカ軍の上陸を阻止し、玉砕するしかありません。その『玉砕引当部隊』220名の隊長として戦った、森田芳雄さんの戦記です。
森田芳雄さんは、大正元年生れですから昭和19年といえば33歳です。妻も子もある身で二度目の召集を受け、ラサ島守備隊長を命ぜられました。彼は「お前たちを傷ひとつなく無事に日本に帰らせたい」と部下の兵士たちに言い、陣地を築き、民間人は退去させ、兵士たちを敗戦まで守り抜きました。
彼は敗戦時、上部からすべての書類を焼却する指令があったときに、ひそかに部隊の陣中日誌を隠し持って帰郷しました。それをもとに記した本ですから、日々の様子がよく描かれています。まず昭和48年にどこかの出版社で出された本で、平成7年になって河出書房から再版が出され、今年になって光人社NF文庫として出版されました。
この本はなぜ、こんなに息が長いのか。どうして今ごろになって文庫に入れられたのか。華々しい戦闘が描かれているわけでも、ドラマチックな感動秘話があるわけでもありません。
「隊長というものは、部下を大切に思うべきだ。それが一人一人の力を最大限に発揮させることになる。その最大限の力を合わせて全体の力を最高に高めるのが隊長の仕事だ。」という気持ちが、孤島での戦闘と日々の暮らしの底流に流れているからでしょう。
手柄話や被害者物語はやがて消えます。でもヒューマニズムに根を下ろした、いわば「人間と人間が真正面から向き合い、信頼し合い、力を合わせて仕事をした」物語は、生きていきます。
人間はそういう心をもった動物なのですから。