
きのうは午前中タイヤ車輪の台車づくりに精を出して、なんとか昼前に出来上がりました。90センチ×65センチの台車で、補強を兼ねて荷台に枠をつけています。あり合せの材木を使ったのですが、ずいぶん重量のある台車になってしまいました。
「こんなものを畑に置いても使うことがあるだろうか」と自分でも疑問に思いますが、孫の遊び道具にはなるでしょう。堆肥を畑の端から立方体の袋に入れて運ぶとき、引きずらないで台車に載せて運べるし。でも家に車輪があったからつくりましたが、なければわざわざ車輪を買ってこんなものをつくらなかったでしょう。内心では「大八車があればいいな」と思っていますから。
写真後ろは村の墓場の土手ですが、きれいに刈ってあります。ぼくがナイロンコードで刈りました。これだけの広い畑を好きなようにつくらせてもらう。何百年も前から先祖代々の村人が田んぼをつくり、その土をつくってこられたことへの感謝のつもりです。畑や田んぼの土は、作物をつくる一人前の土になるまでに400年かかる。そう聞いたことがあります。
それに畑でいろんなことをするのを『仕事』『仕事』と何か偉業をなしとげているように言いますが、豆ガラなどを燃やしながら「結局ぼくは、こうして火遊びしたり、土いじりしたり、水遊びしたり、好きなことをしてるだけだな」と思うことがあります。何のノルマもなく、好きなように遊べてしあわせです。
午後は、ウッドデッキにとりつけた屋根に雨どいをつけました。庭に立てた高さ2メートルの脚立にまたがって作業しましたが、「足場さえしっかりしておればまだ大丈夫」と思いました。それと、もう一つ用心にすること。「脚立は倒れないようにヒモで二方向に引っ張っておく」これからはそうします。
夜は交通安全指導員の忘年会がありました。村の老人会は新年会しかしないので、ぼくの唯一の公的な忘年会です。バスを持つ食堂が、口吉川町の幹線を走ってバス停で乗せてくれるので、大っぴらに飲めます。といってもビールをコップに二杯半程度ですが。この会もぼくは今年で終りです。交通安全指導員には定年があるようでないそうですが、一応75歳が目途です。来年は後期高齢者になるし、人の交通安全を指導するなんておこがましい。どなたかに交代します。