古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

老いを素直に受けとめて生きたい。

2012年03月13日 03時19分26秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 車で10分の東条町図書館です。大志くんをつれて絵本を借りに行きました。コスミックホールと同じ建物にあるこの図書館に入ると、なぜか心がしっとりします。小さい図書館で本は多くありませんが、児童向け図書と絵本は充実しています。テーブルで借りる絵本をチェックしているのが大志くんです。
 今年になってからいままで読まなかった作家の本を読んでみようと、先日は東野圭吾のミステリーを読みました。もう一人、本屋さんでも図書館でもよく見る作家の本を読んでみようと、佐伯泰英の『酔いどれ小藤次・子育て侍』という本を借りました。たしかに刀を振りまわす場面は小気味よい切れ味ですが、行間に〔人の心の残り香〕のようなものが感じられませんでした。ぼくにはなじめないかな。
 それと最近感じるのですが、目は文字を追っているのに場面が立ち上がってきません。「あれっ?」ともう一度読み直すことがあります。これも老化現象でしょうか。
 そんな老化現象を、「素直に受けとめて生きたい」と思い、いくつかあげてみます。
 一つは「忘れる」です。コーヒーを飲もうとコーヒーメーカーに水を入れ、フィルターを置き、豆を入れ、スイッチを入れる。そしてコーヒーができるのを待つ。ところがスイッチを入れたところで忘れてしまい、何時間もスイッチが入ったままになることがあります。そんなことが、むかしはたまにありましたが、いまは、スイッチを入れたところで「完全に忘れる」です。ほぼ毎回。「どうしたものかなー」と思案しますが、それも数秒後には忘れます。《コーヒーカップを手に持ち、立ったまま待つ》がいいかな。
 二つ目は「寒がりになった」です。山陰育ちのぼくは、寒さに強いのが自慢でした。実際どんなに寒くても気持ちまでちぢかんでしまうことは、いままでの人生ではありませんでした。去年もその前の年も、少々寒い日でも裏の竹薮に入って竹を切りました。「寒いからきょうはやめよう」とは思いませんでした。それが今年は、「寒いからきょうは外の仕事をしないでおこう」と思うようになったのです。春のぬくもりが待ち遠しい。
 そんな自分に「おー、よしよし」と声をかけてあげることにします。
コメント (3)
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