古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

あと何センチでしょうか。

2012年03月28日 05時00分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
「あの戦争」で負けたとき、日本の人たちは『君が代』を歌おうと思ったり『日の丸』を掲げようと思ったりしませんでした。大人たちは、ちょっとでも好戦的と見られる本は焼き、役所や軍隊の人たちは戦争の書類を焼き、口をぬぐってじっとしていました。ぼくたち子どもは、そんな大人を見て育ちました。
『一億総懺悔』と首相が言い、みんながあの侵略戦争を反省することになり、日の丸・君が代はどっかに吹っ飛んでしまいました。その後日の丸のステッカーを車に貼ったり軍歌を流すのは右翼だけでした。
 それがだんんだん復活して、いまや大阪の卒業式では起立しないと処罰され、君が代をホントに歌っているか口の動きをチェックされ、テレビのワイドショーでコメンテーターは「起立しない、歌わないなんて実にけしからん」とコメントして、時局に迎合する自分のアリバイを示すのに必死になり……。
 写真は宮津の天橋立にある神社のさざれ石です。参拝に来た人は、神社もこの石も写真に撮り、何も思わず次の観光地にむかいます。こうして時代は流れていきます。
 日曜日に大相撲の春場所が終りました。朝青龍がやめてからぼくは大相撲を見ませんが、テレビで表彰式をチラッと見ました。観客が起立して君が代を歌い、式がはじまります。
 もしこのときに、起立しない観客がいたらまわりの人はどう反応するのでしょう。注意するのでしょうか。無理にでも立たせるのでしょうか。そして君が代を歌うとき口の動きを見て、「われー、歌わんかい! それでも日本人か!」とすごむのでしょうか。
 アメリカ軍が上陸してきたら竹やりで突くのだ! カッポウマエカケをつけて女たちは竹やり訓練をさせられ、在郷軍人は「この非国民めが! 腰をすえて突け!」と怒鳴りました。戦争に負けたとたん大人はピタッと黙ってしまい、「民主主義さま」をうやまうようになりました。いまや「民意」は錦の御旗です。かつてヒットラーは選挙に勝ち「民意」によって首相に就任しました。
 大相撲の観客同士がもめて、「非国民!」という言葉が投げつけられるまで、あと何センチのところに来ているのでしょうか。
コメント
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