古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『ヒトラーのはじめたゲーム』を読みました。

2014年03月16日 07時38分36秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ブログ『古希からの田舎暮らし』は2009年3月に書きはじめました。5年たってまだつづいています。ある日ぼくは思い立ちました。「パソコンも新しくしたし、まだしばらくは書くつもりだ。一度、一か月間一日も欠かさずブログを書く月をつくってみよう」で、3月は毎日書いています。
 ブログを書くつもりで夜中に起き出して、なに気なく読みかけの本を読みました。三木の図書館で借りていた『ヒトラーのはじめたゲーム』(あすなろ書房 2007年刊)です。題名を見て「どんな本だろう」と気になったのです。内容はナチスの強制収容所に3年以上収容されながら奇跡的に生きのびた少年のドキュメントでした。「ヒトラー」という文字があれば当然考えられることですが、それにしても「ゲーム」とは。引き込まれて読んでしまい、朝になって書いています。一部内容を紹介します。

 ※ 15歳ではじめの収容所で出会った散髪屋のアーロンさんに目をかけてもらい、言われたことです。

「ジャック」アーロンは断固とした口調で言った。「ここでは、悲しみに果てがない。だから、自分と、自分にいちばん近い人のことだけ考えるんだ。感情を持つことを自分に許したら、たちまち生きていられなくなる」   ……。  ある日、ジャックの髪を切っているとき、アーロンが言った。「いいか、ジャック。ここで起こることはすべてゲームだと思え。どんな目にあっても、くよくよしてはいけない。うまくゲームするんだ。そうすれば、ナチスより長く生きることができるかもしれない」 ……。 すべてはゲームだ。そう思え。だが、そのゲームでは、たった一つのミスが死を意味する。


 ポーランドに暮らしていたジャックは3年以上強制収容所で生きのび、すべての家族を失い、戦後アメリカに渡りました。そして「語り部」として強制収容所の体験を話しつづけてきました。そのジャックの述懐が読後に残ります。


 わたしには、ありとあらゆる恐ろしいことが起こりました。 …… わたしにはわたしの戦い方があります。それは、憎まないということです。大きな憎しみは、憎む人自身をのみ込んでしまうのです。 ……。わたしは、寛容と許しを自分の人生のテーマにして生きようと努力してきました。
 神さまはわたしたち人間に、良くなる力も、悪くなる力もあたえました。それを選択するのはわたしたち自身です。そして悪を選ぶ人間がいる以上、わたしたちは、それを見つけだし、止めるために、力を合わせなくてはならないのです。 …… その目標に向かってみんなが力を合わせるかぎり、人類には、希望があるのです。


 満蒙開拓団への仕打ちや青少年義勇軍への仕打ち、国民への軍部や憲兵の仕打ち、戦場での上官の独善的な命令と卑劣な行為、新兵いじめ、在郷軍人の掌をかえすような豹変、強欲な隠匿物資、空襲に逃げ惑う庶民、……、あの戦争では許すことのできないことが渦巻いています。いまも。
 想像を絶する極限状況を生きのびたジャックの「寛容と許し」という言葉を、わたしたちは受け入れられるのか。「正義」は無言のままでいいのか。
 人間の歴史は、あらゆる思いを全部飲み込んで流れていくしかないのか。 
  
コメント
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