古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

こころは畑から庭の菜園に

2018年06月13日 04時33分06秒 | 古希からの田舎暮らし
 広い畑から庭の菜園に、気持ちがどんどん移っていきます。そのスピードに自分たちで驚いてます。
「やっぱり、時が来てたんだ」と、人生の仕組みに感心して、自分たちのすることを眺めてる。
 隣りとの境のベニカナメは全部の枝を切ってしまいました。下生えに花を植えよう。土がこぼれないように、あぜ板で仕切りをしよう。ホームセンターで買ってきました。

 道子さんはドボ女の面目を発揮して、小雨にもめげず半日で仕上げてしまいました。
 ぼくは、たまっていた小枝や板切れを燃やしただけです。

 80歳ともなれば、たしかに広い畑をつくるのは手にあまります。しかし借りていれば、返すこともできますが、自分の家の畑や田んぼではどこに返すこともできません。自分の精いっぱいの頑張りで、つくりつづけるしかありません。あるいは、どうしようもなく放置するか。
 11年この村に暮らして、畑をつくって、そんなギリギリのいまの田舎の問題を切実に感じます。

 テレビや新聞は、トランプ(大統領)と金正恩(北朝鮮の支配者)のトップ会談を伝えています。ぼくは違和感があって見ないようにしています。北朝鮮の独裁体制を変えないと、あの国の人たちはしあわせになれません。
 それなのに、何やってるんだ。
 あの国の、国民への、冷酷な、分裂支配体制を知りながら、世界の歴史はそのままにしていいのか。かつてルーマニアのチャウシェスク大領領(独裁者)が人民裁判で処刑された(1989年)ニュースは、厳重な管制下で北朝鮮の隅々まで3日で行き渡りました。独裁体制を引っくり返すチャンスでした。あれから30年、北朝鮮の人たちはまだ独裁体制下で生きています。チンピラがピストルを持ったような核兵器遊び。格差の拡大。人民はお互いを監視、中傷、密告、し合いながらギリギリ生きるしかないのです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする