古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

「オタスケマン」のお助けでなんとか。

2019年01月15日 03時11分30秒 | 古希からの田舎暮らし

 新年交歓会のはじまりは会長の年頭あいさつから。議員さんにも来てもらって、みんなが今年の願いを交流しました。あらたまった気分です。
 食事と歓談のあとは、どんどの準備にかかります。

 きのうの「おらが村のとんど」は、老人クラブでお世話しました。
 といっても、会長/副会長/会員一名(強力メンバー)/足を引きずる会計(役に立ちにくい)/だけで、「とんど」を組み立てる次第になりました。他の2名の会員は体調不良で自宅で寝ていました。
 そこへ舞い降りたようなオタスケマンの〈お助け〉で「とんど」の組立ができました。

 その写真です。撮ったのは会計係で、会長/副会長/強力会員/タスケマン/で4本柱を立ち上げたところです。4人のうち一人は老人らしくない。そう、彼がオタスケマンです。
 どこかで見た顔だって? このブログに載ってたかなー。さわやかな中学1年生です。身軽に竹を寄せたて、鋸で切り、軽快に活躍してくれました。
 道子さんのほうは、「ぜんざい」をサービスする準備で忙しく動きました。ぼくがしたことといえば、軽トラに積んできたイスを袋から出して、地面に置いたこと。
 4時にとんどに点火。持ち寄ったお正月の注連飾りはパッと燃えました。

 でも組み立てた竹になかなか燃え移りません。鋸で組み立てた竹を伐り倒し、八幡神社のたき火用材木もくべて、やっと餅焼き用の火ができました。

 西に沈む夕焼け色がきれいでした。たき火も下火になり、餅も焼け、ぜんざいで腹もくち、オタスケマンとその母も片付けに活躍してくれて、とんどは無事にすみました。でもオタスケマン/その母/がなければ、老人ばかりで大変だったでしょう。
 あとで道子さんと「村の老人ばかりだったら、もっと大変だったね。あと2年できるかな」と話合いました。村の若手老人が本気で動けばなんでもないことですが、現状では「あと2年」は無理。消滅しても困らない正月行事ですけど …… 。
 
コメント
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