古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

山仕事に手をつけました。

2019年01月26日 02時42分00秒 | 古希からの田舎暮らし
 テレビのワイドショウでは「大坂なおみは全豪オープンで優勝するか」と騒いでいます。「準々決勝」に勝ち上がるのと「決勝戦」に勝ち上がるのでは、血の騒ぎ方が違います。
 ぼくも、自分の「血の騒ぎ方」が違うのを実感します。いつの間にか錦織より大坂なおみに力が入ってる。今日=(決勝戦)は夕方からテレビにかじりついて応援します。

 もう一つ感じたことがあります。
 今日は週に一度の母を訪ねる日。眠っていました。見た感じですが、ちょっと弱ったかな。しばらく手足をさすったりして辞しました。
「感じたこと」というのは、その後です。午後、裏山の木を一本伐りました。直径15センチの山桜です。生えていると低い木に見えますが、伐り倒すと道いっぱいの長さです。道に張り出すように斜めに生えており、数年後には倒れる恐れがあります。コードリールで電源をとって、電動レシプロソーで切り分けて山に捨てました。
 チェーンソーを使う仕事ですが、使うのは億劫でした。オイルを入れ、エンジンをかけ、身構えて大袈裟にやるのが面倒な気がしました。レシプロソーはちょっと時間はかかるけど、モノモノしくない。静かにできます。
 感じたのはそのことでもない。実はこの樹は去年から「伐ろう伐ろう」と思っていました。ほかにも「伐ろうと思っている」樹があります。なかなかその仕事に取り掛かりませんでした。きのうの午後、取り掛かる気になりました。
 で、感じたのは「仕事をする気になった」こと。つまり膝が痛くて、動きが鈍くて、容易に仕事をする気にならなかったのに、きのうは「仕事をしたこと」です。
 膝痛はありますが、動き出すと痛みは気になりません。動きはのろのろですが。
 樹を伐った。/心身がその仕事をできる状態になった。/裏山の冬の仕事をやってみよう。/そんな心身の「充実」を感じたのです。

「年寄りの冷や水」という言葉もありますが、高齢者は「自分はその仕事ができるか」と自分の状態を測ることに敏感です。「見込み違い」はあり、86歳で南米の高山に登ろうとした人もいますが。

「する気になった」のは心身の状態がととのったから。と自分で感じたのです。
 危ない仕事でない。膝通がひどくなる仕事でもない。
 山仕事をしながら自分を観察してみます。
コメント
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