古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

動けるうちに『断捨離』しようと思いました。

2019年01月23日 02時07分22秒 | 古希からの田舎暮らし
 
 冬、裏山に飛んでくる野鳥はいろいろですが、馴染みのジョウビタキです。毎年飛んできたメスのジョウビタキはここ2年ご無沙汰しているようですが、先日たき火をしたときズームして撮りました。オスのジョウビタキです。
 顔馴染みになっていたシロハラは、去年から見掛けません。どうしたのでしょう。寒くなるとたき火をして、裏山でゴソゴソするのが好きでした。しかしこの2、3年、だんだん外に出るのがおっくうになり、コタツでテレビになってしまいます。こちらがサボってるから見掛けないのか。

 この数年、ずっと気にしていることがあります。小屋の棚の整理整頓です。
 年寄りの特徴の一つに「使った道具をすぐにしまうことができない」があります。
「横着する」/「ズボラする」でなく、道具を使い終わって手を離したとたん、道具が意識から消えてしまう。小屋で大工仕事をしているとき、いろんな道具を使います。整理整頓してある道具は、その場所にあります。しかし住所を決めてなかった道具は、「えーと …… 」とさがすことになります。
 きのうは思い立って、小屋の棚を整理しました。
 塗装用品もいろいろ買い込んでる。「こんなに刷毛を買ってたか」と思うほど。また使うつもりだったいろんなニスの瓶は、ホコリまみれで、固まってるし、使う気がしない。こんなものを10年近くも棚に並べてたのか。埋め立てゴミのケースに投げ込みました。
 むかしは、家に『釘箱』がありました。いろんな釘、ネジ、どれに合うのか不明の小さいボルト・ナット、金物がゴッチャに入っていました。釘が必要なときは、釘箱を引っかきまわして探し、金槌で打ち込んでいました。いまはネジや釘はホームセンターに種類別に整理して置いてあります。
 片付けながら、「いましないと、もう一生できないだろうな」とつくづく思います。「一生」というほど残ってないけど。

 このブログで、ぼくは「自分が年寄りである」ことをやたらに書く傾向があります。年寄りであろうと若者であろうと、「いまの一人の人間としての自分」を真摯に見る視点をはぐらかしています。「年寄り」と書くことで免罪されるべきではない。自分を見つめる目をもつべきです。そのうしろめたさを、年寄りと書くことで誤魔化している。 …… と反省して、それで、どうするのか。
 生活は隠居でも、「生きる」は現役です。 また考えます。
コメント
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