古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

雨水をどう流すか思案しています。

2019年05月01日 01時11分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 前の65坪の畑は、北西から南東へ、少し傾いています。畑には真砂土を入れてもらったので、いくら降っても雨がやめば、畦間がぬかるむことはありません。すぐ畑仕事ができます。
 問題は雨水の流れです。

 写真は南東の隅です。ここにすべての雨水が流れるように畝を立てています。畝立てはうまくできました。畝間に水溜りもできません。しかしこの流出口をなんとかしないと、土砂が流れ、崩れます。
 これが悩みの種で、コンクリートブロックを使うか、鉄筋とセメント工事で形を整えるか、ずっと思案しています。
 足を引きずって畑の隅に行き、写真の現場を見て考えるのですが、イメージが浮かびません。イメージが浮かばないと仕事はできません。
 もう少し時間を掛けて思案するしかないですね。

 ところで元号が変わりました。
 ぼくは〈昭和12年=1937年〉生まれです。戦争に負けたのは1945年でした。しかし〈1945年8月〉と言われてもイメージが浮かびません。〈昭和20年8月〉というと「あの敗戦のイメージ」が浮かびます。昭和35年=1960年は〈60年安保〉というイメージ。そのあたりから昭和という元号より西暦が身近になりました。1970年=大阪万博/70年安保。1975年=75春闘。
 元号が変わって、〈平成5年〉と言われても〈平成18年〉と言われても、何のイメージも浮かびません。1995年には地震があった。(平成でいうと7年)1997年には退職した/父が亡くなった。(平成でいうと9年)平成でなく西暦感覚で時間の流れを感じています。
 三木市に移住したのは2006年12月/下の畑を借りたのは2008年4月/前の畑を手に入れたのは2018年8月/ ……。「平成に直すと何年になるかというと …… えーと …… 」と考えもしません。
 この西暦感覚が元号感覚に戻るのは無理です。
 
 
コメント
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