古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

きのうのお参りのつづきです。

2022年01月05日 22時17分13秒 | 古希からの田舎暮らし
 きのうは龍神さまにお参りしました。ふだんはお参りをはぶいている「左の広池」にもまわりました。拝む儀式をすませて、イノシシ柵を閉めて帰りかけたとき、そばの畑の老人に声を掛けられました。
「かぼちゃはいりませんか」 / 道子さん「小さいのができたけど食べてしまいました」 / 「うちはよくできたのであげましょう」 / 「ありがとうございます」 
 土手の斜面は柵があって渡してもらいにくいので、軽トラでぐるっとまわることにしました。
 ひょうたん型のいいサイズのカボチャを2個もいただきました。「ここの畑の方は伊丹から作りに来ている」と聞いていたのでたずねてみました。「伊丹からどれだけかかりますか」「1時間半かかります」「そうでしょうね。遠いから。何年通っておられるのですか」
「40年以上前から」「エッ?!」
 うちより前から畑をしておられたのはわかっていましたが、40年だったら、この界隈のよそ者としては一番古い人になります。
 里からはなれた山すそです。村の人との交流はなく、ひとりしずかに畑づくりをたのしんでこられたのです。83歳だそうで「40年もすると、とてもいい土になりました」と笑顔で話されていました。粘り強い人です。感心しました。
「この上の畑は2軒の人がつくってましたけど「年をとってもう行けない」と2軒ともやめて3年になるそうです。

 この道を50メートル上った左に、泊まれるような小屋を建てて、畑をつくっていました。二度訪ねて、小屋を見せてもらい、作物の話を聞いたことがあります。「しばらく見ないと思ってたけど、もうやめたのか」。
「小屋はどうなっているか」と道を上ってみましたが、小屋は山の茂みに飲み込まれていました。植物の勢いはすごいです。
「アメフラシ」の神様にもお参りしました。

 いままで卵をお供えしていましたが、考えてみるとここは龍神さまではありません。お酒とお塩をふりかけて拝み、卵はなしにします。三つの祠の前に、お賽銭のつもりでしょうか、10円玉がそれぞれ置いてあります。見捨てられた祠だと思っていましたが、どなたか村の方がお参りしたのです。「やっぱり古くからの祠はだれかお参りするんだ」と感心しました。
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祇園さん/愛宕さん/にどなたかお参りされてます。

2022年01月05日 15時06分06秒 | 古希からの田舎暮らし
 寒くて外に出たくない。でも裏山の/祇園さん/愛宕さん/にまだお参りしてません。眼鏡飾りをつけたし、新年のお参りをしたい。今日は、昨年買った『温熱ジャケット』を着込んで祇園さんに登りました。村の会計報告では、祇園さん愛宕さんの御賽銭は、一年間でたしか46円だったか。あまりに少ないので、今年はお賽銭が4桁になるように用意しました。
 年末に落ち葉を掃除したので登りやすいです。お参りして、気づきました。

 道子さんとぼくが28日に眼鏡飾りをつけたあと、だれか登っています。幣をつけた、上の眼鏡飾りとは別に、ウラジロをつけた眼鏡飾りが祠の石柱にくくりつけてあります。登る道に倒れ込んだ枯れた竹は、ちゃんと切って通れるようにしてあります。どなたか村の方が登ったのでしょう。うれしくなりました。
 そのあと龍神さまに新年のお参りをしました。いつもやってるように、生卵/お酒/お塩/を池にお供えして、不動明王の真言を3回となえます。無施池 ⇒ 蛇ガ池 ⇒ 福地池 ⇒ 九文小池 ⇒ 左(サ)の広池 とまわりました。左の広池はふだん行かないのですが、なぜか行く気になりました。龍神さまがおられるかどうかわかりませんが、この池には1メートル近い鯉がいます。10年以上前に池の縁から目撃しました。

 左の広池は無施池より広く、村の上のほうにあって、いい眺めです。ふだんはイノシシの柵があって行きません。久しぶりに柵の戸をあけて、生卵/お酒/お塩/をお供えして、拝みました。するとたちまちご利益が。 ……  また明日書きます。

 これは裏山のバードフィーダーあたりに飛来している《シロハラ》です。地面に撒いた粟粒をついばんでいます。裏窓にぼくらが近づくとほかの野鳥は敏感にパッと飛び立ちますが、シロハラは知らん顔してついばんでいます。ヒヨドリよりふっくらしています。4月まで見るたのしみができました。
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