きのうは龍神さまにお参りしました。ふだんはお参りをはぶいている「左の広池」にもまわりました。拝む儀式をすませて、イノシシ柵を閉めて帰りかけたとき、そばの畑の老人に声を掛けられました。
「かぼちゃはいりませんか」 / 道子さん「小さいのができたけど食べてしまいました」 / 「うちはよくできたのであげましょう」 / 「ありがとうございます」
土手の斜面は柵があって渡してもらいにくいので、軽トラでぐるっとまわることにしました。
ひょうたん型のいいサイズのカボチャを2個もいただきました。「ここの畑の方は伊丹から作りに来ている」と聞いていたのでたずねてみました。「伊丹からどれだけかかりますか」「1時間半かかります」「そうでしょうね。遠いから。何年通っておられるのですか」
「40年以上前から」「エッ?!」
うちより前から畑をしておられたのはわかっていましたが、40年だったら、この界隈のよそ者としては一番古い人になります。
里からはなれた山すそです。村の人との交流はなく、ひとりしずかに畑づくりをたのしんでこられたのです。83歳だそうで「40年もすると、とてもいい土になりました」と笑顔で話されていました。粘り強い人です。感心しました。
「この上の畑は2軒の人がつくってましたけど「年をとってもう行けない」と2軒ともやめて3年になるそうです。
この道を50メートル上った左に、泊まれるような小屋を建てて、畑をつくっていました。二度訪ねて、小屋を見せてもらい、作物の話を聞いたことがあります。「しばらく見ないと思ってたけど、もうやめたのか」。
「小屋はどうなっているか」と道を上ってみましたが、小屋は山の茂みに飲み込まれていました。植物の勢いはすごいです。
「アメフラシ」の神様にもお参りしました。
いままで卵をお供えしていましたが、考えてみるとここは龍神さまではありません。お酒とお塩をふりかけて拝み、卵はなしにします。三つの祠の前に、お賽銭のつもりでしょうか、10円玉がそれぞれ置いてあります。見捨てられた祠だと思っていましたが、どなたか村の方がお参りしたのです。「やっぱり古くからの祠はだれかお参りするんだ」と感心しました。
「かぼちゃはいりませんか」 / 道子さん「小さいのができたけど食べてしまいました」 / 「うちはよくできたのであげましょう」 / 「ありがとうございます」
土手の斜面は柵があって渡してもらいにくいので、軽トラでぐるっとまわることにしました。
ひょうたん型のいいサイズのカボチャを2個もいただきました。「ここの畑の方は伊丹から作りに来ている」と聞いていたのでたずねてみました。「伊丹からどれだけかかりますか」「1時間半かかります」「そうでしょうね。遠いから。何年通っておられるのですか」
「40年以上前から」「エッ?!」
うちより前から畑をしておられたのはわかっていましたが、40年だったら、この界隈のよそ者としては一番古い人になります。
里からはなれた山すそです。村の人との交流はなく、ひとりしずかに畑づくりをたのしんでこられたのです。83歳だそうで「40年もすると、とてもいい土になりました」と笑顔で話されていました。粘り強い人です。感心しました。
「この上の畑は2軒の人がつくってましたけど「年をとってもう行けない」と2軒ともやめて3年になるそうです。
この道を50メートル上った左に、泊まれるような小屋を建てて、畑をつくっていました。二度訪ねて、小屋を見せてもらい、作物の話を聞いたことがあります。「しばらく見ないと思ってたけど、もうやめたのか」。
「小屋はどうなっているか」と道を上ってみましたが、小屋は山の茂みに飲み込まれていました。植物の勢いはすごいです。
「アメフラシ」の神様にもお参りしました。
いままで卵をお供えしていましたが、考えてみるとここは龍神さまではありません。お酒とお塩をふりかけて拝み、卵はなしにします。三つの祠の前に、お賽銭のつもりでしょうか、10円玉がそれぞれ置いてあります。見捨てられた祠だと思っていましたが、どなたか村の方がお参りしたのです。「やっぱり古くからの祠はだれかお参りするんだ」と感心しました。