古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

今日は元気に働きました。

2022年01月10日 20時25分35秒 | 古希からの田舎暮らし
 いま午後8時です。今日はよく働きました。腕時計の歩数を見ると15872歩になっています。電動ウオーカーで2キロメートル歩いた(4000歩)も入っていますが、よく動きました。
 やった仕事といえば「たまっていた雑用」です。「オレは、結構元気なんやなー」と自分で感心しています。
 実は年明けの「やる気の出ない数日」を意識して「オレもだんだん弱って、やる気が枯れてきたんや」と思いました。これからは、やる気の出ない日々が過ぎていく。そんなグズグズした自分を、じーっと見守る。「がんばれ!」とはげましたりしない。 
 ところが今日は、朝から、なぜか気力が出てきます。外に出て、掃除したり、畑の雑用をしたり、次々と仕事を思いつき、体がサッと動きます。こんな感じはしばらくありませんでした。
 どうしたんだろう。
 
 
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自分のことばっかり書いて、寒中見舞いを出します。

2022年01月10日 00時57分36秒 | 古希からの田舎暮らし
 6月に、80歳になる弟が亡くなり、年賀状は出しませんでした。〈喪中はがき〉を出すと年賀状が来なくなるので、やめました。つまり〈音なし〉の構えで年賀状だけはもらいました。「今年はどんな賀状になるだろう」と見るのがたのしみな賀状もあるので、「もらうものはもらおう」という魂胆でした。
 さて1月の10日になり「もう〈寒中見舞い〉を出してもいいだろう」と去年から用意していたハガキを出します。こんな文面の寒中見舞いにしました。


 寒中お見舞い奉仕上げます 2022.1.10  草々の年始ごあいさつ、ありがとうございました。昨年6月に弟が80歳で亡くなりましたので、年末年始のあいさつを控えさせていただきました。 私は84歳なりに、一応、元気に暮らしております。三木市口吉川町で〈田舎暮らし〉をはじめて15年になります。鳥取県で生まれ育ち、西宮、明石の中学校に勤め、最後は今田町の中学校でたのしくすごしました。退職後は畑仕事/草刈り/大工仕事/に精を出して「大豆畑トラスト」グループの〈つきあい〉をたのしんできました。69歳のとき「田舎暮らし」にふみ出して、老人会の仲間と〈行雲流水〉〈晴耕雨読〉の生活をしております。人生をふりかえってみると「どこでも、いつも、まわりのひとびとにめぐまれて、好きなことをして、たのしい時間をすごすことができた」と思います。 
 84歳にもなると、親友、先輩・後輩、知人・友人、身内の縁者が、歯が抜けるようにいなくなりました。お会いして積もる話をしたいと思いますが、遠出はかないません。のんびりできる田舎です。せひお立ち寄りください。歓迎します。 ※ブログ:『古希からの田舎暮らし』は書きつづけております。


 読み返してみると、自分のことばっかり書いてます。社会情勢がどうであろうと自分しか見ない。いまの社会への問題意識もない。
 年寄りになると、人々の苦労や社会の問題が視野から消えてしまう。新聞を見るにしても、三面記事の〈見出し〉を読むくらいで、かつて自分も投書した「声」欄や社説は見なくなり、書籍新刊紹介の読書欄も「もうオレには縁がない」と見なくなる。
「年をとっても、社会に目を向け、問題意識を持って声をあげる人はえらい」と思いますが、自分は「声をあげようという気力が出ない」。それを「情けない!」とも思いません。「年をとると視野狭窄になるんやなー。自分のことばっかりに目が向くようになる」。
 ひとむかしまえは「そろそろやなー」ということでしょうが、いまは「人生100年時代」という言葉をよく耳にしますね。
 とりあえずこのブログは書きつづけることにします。よろしくお願いします。
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