古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

散歩道が現われました。

2012年01月10日 05時54分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 1月8日のブログに草いっぱいの写真をアップした草原に、きのうやっと散歩道が開通しました。きのうは散歩のかわりに道子さんと二人がかりでこの散歩道を仕上げることにしました。刈り残していた草を刈り、熊手で草を横に掻き寄せます。去年の春ぼくらが散歩道をつくったとき、道子さんが斜面の土を掘ってつけていた階段も現われました。
 作業は1時間半かかりましたが、これで「佐の広池」を周回する散歩道ができました。草の勢いが盛んになる5月までは歩けるでしょう。人里と山の境目あたりには野鳥がよくやってくるので観察しながら散歩できます。ぼくら以外に散歩する人はいないでしょうが、ひょっとしてだれか歩いてくれたらうれしい。なお佐の広池には、池の主(ぬし)のような大きな鯉がいます。水面近くを泳いでいる姿を、おととし見ました。1メートル近くあったような気がして圧倒されました。
 午後は、母・妙子さんの山仕事のために「東中の竹切り孝行息子」を演じました。軽トラで50メートルほど山のほうに行き、茂みの細い竹を切り出して、積んで帰るのです。20本も切り出したでしょうか。妙子さんの仕事場(山にベンチを置いています)に積み上げました。夕方見たら、妙子さんは仕事に励んで全部の竹の枝を切り離していました。励み過ぎです。竹は無尽蔵にあるけれど、ぼくも竹切り孝行ばかりをしているわけにはいきません。ここしばらくは、そうですね、10日ほどはこの枝を切り刻むのを仕事にしてもらいましょう。
 でも、もうすぐ九十九歳になるというのに元気なのはありがたい。「母を16年間介護して看取りました」と知人にきいたときは、どう言っていいか言葉がありませんでした。介護の苦労もですが、その間の人生の長さを思ってしまいました。紙の表に介護の苦労をいっぱい書くとしたら、人に見せない裏にもいっぱい書くことがあるでしょうね。
 いずれ必ずひとは死にます。それが「PPK(ピンピンコロリ)であってほしい」とみんな願っています。でもね。「死ぬって容易なことではないようだ」とふと思ったりします。
 そうそう、奈良にぽっくり往生するお寺として有名な『吉田寺』があります。「キチデンジ」と読むんですって。カッコイイ! お参りしたことはありませんが……。
 あるお寺のお説教でむかし聴いたお話をします。

 
〝奈良にポックリ往生のお寺がありましてな。いっぱいお年寄りがお参りしはりますねん。あそこのお寺はん、中風で寝てはんねんて。(聴衆の笑い)このお寺に信心深いおばあさんが参らはったんやって。そして「どうぞポックリ往生できますように」って熱心に拝みはったんやって。そしたら仏さんが出てきはって、「ほんまにポックリ往生したいんかいな」ってききはったんやって。「ええ、よろしゅうお願いいたします」っておばあさんが言うたら、仏さんが手帳を見て「予約がいっぱい入ってるよって空いとるところがないなー」って言いはったんやって。「それでもとにかくよろしゅうお願いいたします」って言うたら仏さんが「ああ、あさって空いてるところがある。ここに入れよか」って言いはったんやって。そしたらおばあさんが「ちょっと待っとくんなはれ……」(聴衆の笑い)ってあわてはったんやって。……そんなもんですわ。……〝
 
 
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散歩道を確保するために草刈りをしました。

2012年01月09日 04時21分59秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 朝起きるとまず瞑想します。ぼくたちの瞑想は『TM瞑想』です。世界には2000とも4000ともいわれる瞑想法があるそうです。シッダ瞑想をしたことも他の亜流の瞑想をしたこともありますが、TM瞑想に落ち着きました。それぞれの人が授かった『マントラ』を意識する瞑想法といったらいいでしょうか。
 いちばんわかりやすくいえば、宇宙は『響き』でできています。(例えば「オーウム」のような音です)その響きを介して宇宙と共鳴するのです。そんなに高尚な瞑想はできていませんが、目をとじて静かに呼吸をする時間があるだけでもいい。
 そのあと最近は膝体操をします。膝痛を軽くするために。道子さんが友だちに「菊池体操」というのが膝痛に効くと聞いてきて、10分ほどやるようになりました。正式に習っていないから亜流です。以前は瞑想の前にヨーガをしていたのですが、膝痛で中断しています。 
 食事のあとの散歩が復活して二日目。きのうはとなりの「西中」まで軽トラで行き、ゲートボール場に車を置いて奥のため池に歩いて登りました。土を掘り返したようなぼこぼこ道がつづき、歩きづらい。わかりにくい写真ですが、これは猪のしわざです。ミミズを掘り起こして食べるのです。そんな道がため池までつづきます。ミミズなんて小さいし、土を掘って1匹見つけて食べても腹の足しにならないでしょうに、猪くんもご苦労さんなことです。
 ため池の先はゴルフ場で道は行き止まりになります。三木市はゴルフ場が25面あって全国で二番目だそうです。となりの加東市にも19面ありますし、神戸市北区も合わせるとゴルフ場の密度は全国一でしょう。ゴルフ場がなければ山道を東条まで歩けるのですが、この先は三つのゴルフ場が連なっています。
 道を引き返して足をのばし、「桃坂」の天満宮にお参りしました。本殿で拝んで横の祠にまわってみると、すぐ後ろまで迫っていた竹薮が切りひらかれています。このブログでも竹薮に飲み込まれそうな祠を紹介したことがありますが、村の人たちが竹を切ったのでしょう。これだけ竹がはびこったら、これからも毎年のようにこんな攻防を繰り返すしかないでしょうね。
 田舎を車で走るとなぜかホッとします。山々と谷川と民家と耕地。でも田舎に住むようになってから、ぼくは竹薮を見ます。「あー、ここも竹がはびこってるな。あと5年で頂上まで飲みこまれるな」竹との攻防はまた書きます。
 散歩のあと「佐の広池」周回の散歩道を復活するために草刈りをしました。草は枯れていますがびっしり伸びてしぶとい。全部は刈れませんでした。また明日。
 
 
 
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冬の散歩を復活します。

2012年01月08日 03時29分13秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
「寒さが厳しい。散歩はもう少しあったかい日にしよう。山に植えた木に寒肥をやる仕事もあるし、道子さんは《こんまり》さんの本を読んで片付けにはまってるし」と理由をつけてサボっていた散歩を復活することにしました。軽トラを適当なところに止めて、1キロくらい歩いては軽トラで移動し、また1キロ歩くというやり方にします。歩くのがしんどくなったらいつでも軽トラで帰れるように。「鍛える」というより「体力や運動能力を一日でも長く維持しよう」と思うのです。
 写真は去年の春ぼくが草を刈り、道子さんが斜面を掘って階段をつけた「佐の広池」を周回する散歩道です。草の勢いが強くなった6月からは、蛇やマムシが出没しそうなので歩くのをやめていました。セイタカアワダチソウが伸びて、どこが道だかわからなくなっています。しかし奥まっているので野鳥をよく見かける道です。近く草を刈って散歩道として復活させようと思います。
                
 こちらの写真は大志くんと萌ちゃんの凧揚げです。大志くんは豆つぶほどに写っていますが自分で糸巻きを持って凧を見上げています。
 我が家の玄関から100メートル山のほうに歩いていくと山の田んぼがあります。一本の電柱も一軒の家も見えない別天地のような広がりです。お正月は4日にここで凧揚げをしました。寒い日でしたが風が強いので焚き火はなし。100メートルの水糸を全部繰り出して高く揚がった凧を見ています。子どものときにこんなところで凧揚げができるのはいい。子どもたちの記憶に残るでしょう。ぼくたちも、田舎のおじいちゃんおばあちゃんになれてよかった。
「経済にうといからたまには《経済小説》なるものを読んでみよう」と図書館で借りる本の中に一、二冊入れることがあるのですが、いままでまともに読んだことはありませんでした。でもこのお正月、半分読みました。高杉良という作家の『虚像』(覇者への道)という小説の上巻です。「おそらく読まないだろうな」と思って借りなかった下巻をこれから借りて読みます。
 ネットのブログで読後の感想を見ると「よく知られていることだからその内幕を暴くという話題作ではないし、おもしろくない」そうですが、素人のぼくにはわかりやすく読めます。総理大臣の「大泉純太郎」という人や元総理の「中田角王」という人は「ああ、あの人か」とわかりやすい。でも財界人となるとさっぱり。オリックスの宮内さんをターゲットにしているのはわかりますから、○○ファンドとか世間をさわがせたような経済のことがちょっとわかるかな。
 とにかく最後まで読んでみます。
 
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大志くんは『ババヌキ』をする人を応援します。

2012年01月05日 04時46分51秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
     明けましておめでとうございます。
     日頃はブログ『古希からの田舎暮らし』をのぞいていただき、ありがとうございます。
     2009年(平成21年)3月から書きはじめたこのブログも595回目になります。
     今年も高齢者のささやかな田舎暮らしを発信します。よろしくお願いいたします。

 この写真は孫の大志くんが『ババヌキ』をする人たちを応援する旗です。大志くんはランドセルを買ってもらい、4月から一年生になります。おじいちゃんの家に遊びに来て、トランプ遊びでババヌキをすることになっても、ババを引くのにどうしてもなじめなくて、応援にまわることになりました。すると五年生の萌ちゃんが、応援する旗をつくってくれました。
「だれがババの面倒をみるか」を賭ける真剣勝負ではありませんが、それでもかなり真剣になる大人たちを、大志くんが旗を振って応援します。こころやさしい孫たちですが、この子らが大人になるころ、日本がしあわせに生きていける国でありますように。
 さて元旦の初詣では、軽トラで近所の神社をまわりました。まずうちの村で『畑の神さん』と呼ばれている『大将軍神社』に。次にうちの村の鎮守さまである八幡神社に。だれにも会いません。「裏山に登って愛宕さん・祇園さんの社にお参りしようか」と道子さんと相談しましたが「孫たちが登るときにしよう」ということでやめました。
 そこへ萌ちゃんの一家がやってきて「伽耶院に初詣でするけど行かないか」と誘ってくれましたが、「もうご近所の神さんですませたから」とこたつにあたって、年賀状を書き足したりして一日がおわりました。
 いままで『初詣で』というと力がわいてきて、あちこちに出掛けていました。伽耶院には特別なお願いもしました。まだ「どこで田舎暮らしをはじめるか」まったく不明だった2006年の元旦は、なぜか神戸の家からわざわざ三木の片田舎のお寺までやってきて、お参りしました。一願成就のお札には「田舎暮らしができますように」と書きました。
 それから一月・二月・三月と北は福知山線の谷川駅近くから丹波篠山、西脇、小野、三木、神戸の道場付近、三田、淡路の一宮町など数十軒の空き家を見てまわり、結局三木の田舎に小さな家を建てて、12月はじめに引っ越しました。ですから三木に住むようになってからも伽耶院にはよくお参りしました。それなのに。
 別に体調がよくないわけでもない。特別な用事があるわけでもない。特に寒いわけでもない。行ってもかまわない。でも結局行かなかった。「としをとる」ってこういうことなんですね。
 今年は誕生日がくれば、ぼくが75歳、道子さんが71歳、我が母妙子さんは99歳。背伸びしたり、無理したり、サボったりしないで、「老い」の声に耳を傾け、素直に「老い」と向き合って生きていけたらと願っています。
  
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