古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

安納芋を植えました。

2012年05月08日 02時06分35秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 イチゴが赤くなりかけたのにネットハウスができないまま連休に入ってしまいました。そこで母の介護や家事の合間をぬって畑に行き、まわりの草を刈り、杭を打ち込み、マイカ線を張ってネットを張る準備をしました。日曜日には萌ちゃんのおとうさんとおかあさんが手伝いに来てくれて、1時間あまりかけてネットを張りました。100坪用ネットが農協では品切れだったので、今年はナフコで買った赤い防鳥ネットです。こちらのほうが見えにくい。以前ヒヨドリがネットにかかって死んでいて、蛇塚(虫塚・鳥塚など生物一般用でもある)に埋葬したことがありますが、今年もそんなことが起こるかもしれません。
               
 遊歩道に播いた六条大麦が見えますが、青々としていてアブラムシもついていません。麦秋には刈って干し、踏んで収穫し、夏には炒っておいしい麦茶を飲みます。そして大麦のヒゲは集めてゴマの苗のまわりに撒き、『チクチク』として夜盗虫を寄せつけないよう活躍してもらいます。
 5月になり、10度以下に冷え込むことはもうないでしょう。それでサツマイモの「うねづくり」も大仕事でした。写真は10メートル・6本のサツマイモ用うねです。爪を交換した耕耘機が大働きしました。スズメノカタビラは大株になり手で抜くのは無理。草刈り機で雑草を刈り、熊手で掻き寄せ、耕運機で耕します。この田んぼは圃場整備をしてから米を作ったことがなく、農薬も使っていません。それにうちが有機無農薬でつくりはじめて5年目になり、いい土になりました。また耕運した日は土の状態がよく、写真のようにきれいなうねになりました。
               
 畝間を125センチとり、左右から土寄せして30センチの高さにします。これで芋掘りがしやすくなるでしょう。サツマイモは8うねつくるつもりでしたが6うねにしました。アライグマ用はなし。8月後半からは動物ネットをかぶせてアライグマから守るつもりです。安納芋・ベニアズマ・ナルトキントキを2うねずつ植えることにします。
 例年なら村でも率先して土手の草刈りをするのに今年はまだ手がまわりません。まわりの田んぼは掘り起こしと土手の草刈りの最中です。ぼくも体が5つくらいほしいけど、<焦らない・たのしむ>をモットーに頑張らないように畑仕事をします。
 10日前にぎっくり腰で介護が必要になった九十九歳の母を世話しながら、「母の介護を16年間したのよ」という知人の言葉の重さを思います。まだ介護保険も整わずびったり介護が必要だったときに。そして自分の人生の実りの時期に。16年間。
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ぼちぼち畑仕事をしています。

2012年05月06日 01時26分06秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                 
 きのう紹介した『ジャパン』の駐車場そばにあるムクノキです。葉が出かかった雨の日の写真で、きのうの写真の反対側から写したものです。枝のシルエットを見ると、生きることと格闘しながら枝を張った老木の雰囲気が出ています。こちらも「としより」なので、しばし腰を伸ばして見上げていたい木です。
 いつもの連休なら、妙子さんは裏山に出かけて竹の枝を切り、道子さんとぼくは畑仕事をする静かな日々ですが、今年は養生がメインテーマです。
 妙子さんの寝床をベッドにしました。こちらが介護して便所に行かせたり、すわって食事を食べさせるのにやりやすいから。九十九歳の誕生日を前に『ぎっくり腰』になりましたが、しっかり食べるし介助すれば立ち上がることもできます。いずれ『裏山の竹の枝切り』は復活するでしょう。裏山の母の切った枝をかき寄せながら、そうなりそうな気がしました。大正2年(1913年)に生れた母は、きょう満九十九歳になります。
 道子さんは家で養生しており、ぼくは畑に行ってイチゴのネットハウスの準備をしました。いままで1メートルの木の杭を打ち込んでそれに竹をビスでとめて柱にしていましたが、今年はツルハシで畑に穴を掘り、そこに杭を打ちました。とても40センチも打ち込めそうになかったので。針金を張っていましたがこれもマイカ線に変えたら、らくになりました。
 例年なら4月中にできるネットハウスが、一週間遅れています。きょうは娘や萌ちゃんが来て手伝ってくれるので、ネット張りはギリギリ間に合いそうです。でも土手の草刈りまで手がまわりません。仕方ないですね。あせらないことにします。
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安納芋の人気はすごい!

2012年05月04日 03時26分04秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 豊地の信号を50メートル余り三木のほうに走ったところに『ジャパン』があり、その駐車場のそばに巨木が立っています。冬の間は何の木かわかりませんでしたが、葉が出、花が咲いてみるとムクノキでした。この木の実は食べられます。実のなる頃に寄って口にしてみたいと思います。
 写真ではわかりにくいですがこの木の枝ぶりはなかなかいい。下に立って見上げていると、この木の歴史と命が伝わってきます。樹齢は50年や100年ではないでしょう。木の根元には祠が祀ってあり、幹のあちこちにある穴には、フクロウがやってきて夜に鳴くそうです。
 今年はもう10度以下には冷え込まないでしょう。サツマイモを植えても大丈夫でしょう。というわけできのうはナンバで『安納芋』の苗を買いました。いつ行っても売り切れで、「ほんとに毎日売っているのか」と内心疑っていました。でも午前8時過ぎに行ったら確かに段ボール箱にいっぱいありました。うちは他の種苗店にお願いしていたので10本買い足しました。見てる間にも次々と買っていきます。午前10時を過ぎる頃にはもう売り切れでしょう。安納芋人気はすごい!
 例年サツマイモは10メートルのほうに8うねつくっています。お友だちに『芋掘り』に来てもらえるように。でも去年はアライグマ軍団が襲来して一うね半ほどやられました。その後サツマイモに動物防御ネットをかけましたが、ツル上げが遅れてツルボケ。今年はどうするか。また思案します。
 うちでは、安納芋はまず蒸します。それを切って干し、生乾き状態で冷凍保存します。それを焼いて食べるのですがクリーミーで甘みがつよく、とてもおいしいおやつになります。またサツマイモより寒さに対してつよいようで、室内で段ボール箱に保存すると大丈夫です。
 秋には畑のゴミを燃やしながらダッチオーブンで焼き芋。冬には裏山で焚き火をしながら焼き芋。食い物と情感が結びついて、孫たちの心に残る行事になるでしょうか。
 きょうはうねづくりに精を出して、安納芋40本を植えることにします。
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〈PPK〉に感動した話。

2012年05月03日 05時00分34秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 裏山に植えた『友禅欅』が大きくなりました。ケヤキというよりアキニレと同じ仲間で、「黄金緑」と表現される小さい葉が魅力です。他の若葉が日に日にしっかりした緑色になるのに、この木だけは遅くまで若葉の色をたのしませてくれます。盆栽品種として愛され、ネットにもいっぱい出品されています。植えて四年目。こんなに立派になるとは想像できませんでした。この木が裏山にあるだけでうれしくなります。
 人は、いずれ、かならず、死にます。そして「ピンピンコロリ」《PPK》と死ぬのが願いだといいます。またそんな「理想的な死に方」を、だれもが一つや二つは身近に見聞しています。ぼくが聞いて一番感動した死に方の話をします。
 ある人から年末に喪中ハガキが来ました。九十七歳でおとうさんが亡くなられたとあります。後日お会いしたときにその様子を聞いて感動しました。おとうさんは元気に暮らしておられました。散歩をしたり、畑の草を抜いたり、趣味の習字をしたりして。ある日、家族と朝ご飯を食べ、「ちょっと昼まで習字をしよう」と立ち上がって部屋に入られたそうです。お昼どきになっても姿が見えないので呼びに行ったら、習字の机に向かったまま亡くなっておられた。
 病院でさまざまな管につながれて生かせられるのを望む人は少なくなりました。道子さんは「おばあちゃんは畑仕事をしていると思ったら畝間で死んでいた」というのが理想といいます。ぼくは裏山がいいかな。人生、そんなふうに最後まで思い通りにはならないでしょうが、でもそんな願いを持って生きるっていいですね。どうせ「あの世」には何にも持って行けないのですから。
 なお前のブログの「マムシの写真」は削除しました。あの写真を見るとどうも胸騒ぎがするものですから。またあの写真を撮ったあと、トンビかアオサギがくわえていくかと様子を見ていたのですが、翌日になってもそのまま。『蛇塚』に埋葬しました。きょうは花を供える筒を新調します。マムシくん、きみも成仏しようね。
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藤の花が咲き誇っています。

2012年05月02日 21時35分27秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
               
 道子さんが退院しました。新緑を眺めてほっとひと息つきたいところです。
 そこで病院からの帰りは「脇川」への細い道に入ってゆっくり走りました。さらに脇川の教海寺から東条町に抜け、ゴルフ場の間道を通り、桾原をまわって帰りました。例年より遅めの藤の花が雨にうたれて咲いています。
               
 道子さんは8日ぶりに裏山の新緑を見て、深くなった緑にうれしそうです。写真では見えませんが細い筍があちこちに伸びてきました。タケノコくん、せっかく生えてきたけど見つけ次第切らせてもらうよ。
「竹はしっかり伸びたところで切ると、地中の養分を消費し尽しているから勢いが弱まる」と書いてあるので、去年は8月以降に切るつもりにしていました。ところがそれでは切れないことがわかりました。いろいろすることがあって、切る気にならないのです。だからいつであろうと、切る気になったときが切るときです。「あとで切ろう」は駄目でした。今年は思い立ったときに切ります。
 母の「ぎっくり腰」は病院で診てもらいましたが、骨は大丈夫でした。コルセットを誂え、しばらく養生することになります。手がまわらないので2泊3日の「ショートステイ」をケア・マネージャーにお願いしました。母にとってはじめてのショートステイです。あす帰ってきたらどんな感想を話してくれるでしょう。
 それにしてもこのたびの我が家の出来事。まず道子さんの入院。母・妙子さんのぎっくり腰。ぼくがテンテコマイして病院や家や畑をうろうろ。もしこんな状態が一ヶ月もつづけば我が家はかなり大変でした。老人の暮らしは「平穏なようでも簡単にガタがくる」ことをあらためて思い知りました。おそらく街に暮らそうと田舎に暮らそうと同じことでしょう。
 きょうは雨でいい休養日になりました。あしたからどうするか。体調を自分の感じで確かめながら、無理しないように畑仕事をしたいと思います。  
  
 
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