前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

ドヴォルザーク 『スターバト・マーテル(Stabat Mater)』

2011-08-03 21:32:44 | クラシック音楽
ドヴォルザークは多数の美しい旋律を残した稀代のメロディ・メーカーですが、
私達に馴染み深い旋律の多くは、明るく牧歌的なものではないでしょうか。

ドヴォルザークの『スターバト・マーテル』は80分を超える大曲ですので
正直、全曲通して聴くことはありませんが、
第1曲「悲しみに沈める聖母は (Stabat Mater dolorosa)」はその嘆きが胸に迫る、大変美しい曲です。

ドヴォルザークは相次いでこの世を去った子供達の追悼のために、この曲を書かれたとされています。


芸術家が、愛する人を失った悲しみや辛さを作品に「昇華」させる例は多数あります。
芸術家でなくとも、例えば事故や犯罪などで家族を失った方々が、
事故や犯罪の撲滅のために社会的運動を起こすのも、同じく「昇華」だと思います。


その時「"愛する人の死"を利用している」という罪悪感が一瞬でも頭をよぎることはないのでしょうか?


私はあるのだと思います。
でもその「死」を何かに昇華させなければ、立ち上がることも前に進むこともできないほど、
愛する人を失った悲しみは深く大きいのでしょう。


  死を嘆き悲しみ佇んでいても、亡くなった人は決して喜ばない
  残された人達が力強く生きてくれることを、亡くなった人も望んでいる


それが本当かどうかは私にはわかりません。

でも、悲しみの中から立ち上がり歩き出す、歩き続けるために、その死を「昇華」させるのであれば
それは絶対的に正しい、そう思います。