前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

教会探訪【File.008】:カトリック金沢教会

2019-02-27 22:20:44 | 教会など
都内にある色々な教会を観て回っています。
旅行先でも観光地だけでなく、その地の教会を訪れたりしています。
それぞれに歴史と個性がありますね。

昔撮ったものも含めて結構写真が増えてきたので、
整理と備忘録を兼ねてアップしていこうと思います。

※聖堂内は「祈りの場」なので、信者の方々の邪魔にならないよう
 可能な場合のみ撮影しています。


◆カトリック金沢教会(教会堂名:イエスのみこころ)+
住所:石川県金沢市
創立:1888年



立派な教会です。敷地も広い。



歴史というか、風格を感じさせますね。



ステンドグラス。絵柄が可愛いです。



絵画や置物などが飾られています。

J.S.バッハ『マタイ受難曲』(日本語・オペラ版)

2019-02-25 23:49:35 | クラシック音楽
バッハ大先生の『マタイ受難曲』(日本語・オペラ版)を観てきました。

オペラ版とは何ぞや?ということですが、
ソリスト・合唱者が衣装を着け、役を演じながら(動きながら)歌います。
(福音史家は、いわばナレーターなので、衣装や動きはありませんが)

指揮:黒川和伸
東京オペラ協会管弦楽団
東京オペラ協会合唱団

福音史家:藏田雅之
イエス:石多エドワード(構成・演出・訳詞)
ヴィオラ・ダ・ガンバ:櫻井茂
会場:カトリック目黒教会御聖堂




「日本語訳」のオペラ、というコンサートはたまに見かけますが、
「どうせ観るならオリジナル(原語)で」という人がほとんどではないでしょうか。
(私もそうですが)

ただ、偉大な作品は、そのような"アレンジ"などものともしない
"強度"を持っています。
バッハ大先生の『マタイ受難曲』は、まさにそういう"偉大な作品"で、
言語の違いなど問題ではない、と感じます。


大まかなストーリーはわかっていますが、
「受難劇」ですので、日本語で演じられると、
イエスや弟子たちの「叫び」「嘆き」「苦悩」「後悔」が
"日本語"でダイレクトに伝わってくるので、また別の感慨があります。
(オペラの歌唱法だと、日本語でも聞き取り辛い点はあるのですが。
 あと、普段ドイツ語で歌い慣れている人にとっては、かえって歌い辛いのかも)


ゲツセマネの祈りの場面では、イエスが苦悩を語っている後ろで、
弟子たちが眠りに落ちていく"演技"があって、微笑ましいです。
(大事な時になに寝てんだ!・・・でも人の肉体は弱いもの)

ペテロの否認の場面では、
有名な「憐れみ給え、わが神よ」のアリアが歌われている間、
ペテロ役の方が、目に涙を浮かべて"後悔"していました。
(席は一番前だったので、目の前で)

美しい「憐れみ給え、わが神よ」のアリアに落涙。


イエス役の石多エドワードさんはまさに迫真の演技。
(ひげを蓄えた風貌が"イエス様"っぽいんですよね)

全体の演奏レベルは、正直すごく高いというわけではありませんが、
すぐ目の前で演じられる臨場感と、教会内という"舞台設定"とが相まって、
感動も増します。

あまり知らなかったのですが、教会では宗教音楽などの演奏会を
いろいろやっているようなので、チェックしようと思います。
(教会で聴く宗教曲は格別ですね)


それと今回の会場となった、カトリック目黒教会は前に見学していますので、
そちらは後日、アップする予定です。

『アマデウス』(LIVE シネマティック・コンサート)

2019-02-24 12:22:03 | クラシック音楽
東京芸術劇場で映画『アマデウス』を観て(聴いて)きました。

劇中で流れる曲を、同時に生オーケストラと合唱で演奏する
「LIVE シネマティック・コンサート」です。

演奏:オーケストラ・アンサンブル金沢
   居福健太郎(ピアノ、オルガン、チェレスタ)
合唱:アマデウス特別合唱団
指揮:辻博之




『アマデウス』は、公開当時には観ていませんですが、
その後、テレビ放送やDVDなどで何度も観返しており、
ストーリーはよくわかっています。

かなり昔のことですが、自分と同じく楽器は全く弾けないのですが
クラシックが大好きな"聴き専門"の友人とこの映画について話したとき、
「(自分たちのような)"聴き専門"のクラシック好きにとって
"グッとくる"シーンが幾つもある」という感想で一致しました。

例えば、

サリエリが、密かに手をまわして、
「ドン・ジョバンニ」を5回で上演打ち切りにさせたが、
その5回ともすべて観た
自分だけがこの曲の本当の意味を理解できた、というシーン

モーツァルトが書いたオリジナルの楽譜を見て、
書き損じのない完璧な様に打ちひしがれるシーン
(楽譜をめくる度に、頭の中で次々と音楽が鳴り響く)

など。

自分では永遠に手の届かない高み、天才のなせる技、
でも、その凄さだけはわかる、本当の凄さを理解できる・・・という描写。


ちなみに後者の場面は、精神病院の中でサリエリが神父に対して、
モーツァルトの音楽を「absolute beauty」と表現するのですが、
字幕では「至上の美」(だったと思います)と訳されています。
(確か今のDVDもそうだった気がします)

ですが、自分が最初にテレビ?で観た時は(恐らく吹替ですが)、
「absolute beauty」を文字通り「絶対的な美」と訳していました。

「至上の美」は「この世のものとは思えない美しさ」という感じで、
間違っていないとは思いますが、
「絶対的な美」の方が「人間技とは思えない完璧な美」
というニュアンスが出ていて好きなのですが・・・。


この作品の白眉は、サリエリが記譜を手伝いながら、
モーツァルトが「レクイエム」を作曲する場面だと思います。

(この映画の中の設定では)
「レクイエム」はもともとは、サリエリがモーツァルトを殺害した後に、
モーツァルトを追悼するために自分が書いた曲として世に出そうと画策し、
作曲を依頼したものです。

そして上記の場面も、
衰弱しているモーツァルトに対して、嘘の報酬(ボーナス)をちらつかせ、
自分が手伝うという親切心を装って、早く曲を完成させようとします。


ですが、モーツァルトの「天才」を誰よりも理解しているのが
誰あろう、サリエリ自身です。

指示内容がわからず、頭を抱えるサリエリに対して、
なんとか意図を伝えようとするモーツァルト。
そして、その意図を理解し、嬉々として筆を走らせるサリエリ。

ここは、モーツァルトに対する嫉妬や恨み、狂気も消え去り、
ただ純粋に、天才の頭から迸るものを形にしようとするサリエリの姿が、
天才と、それを理解するもう一人の天才との心の繋がりが見える場面で、
本当に感動的です。

サリエリ役のF・マーリー・エイブラハムは、
この役でアカデミー主演男優賞を獲得しましたが、納得の名演です。


映画の場面に合わせた演奏は、大変だと思いますが、
やはり生の迫力があり、とてもよかったです。
(合唱が入る場面は特に)

劇中、モーツァルトやサリエリが自作を指揮する場面がありますが、
その部分は、実際にオケを指揮していた辻博之さんの指揮ぶりも、
役とシンクロしていました。

つい、つられて、というよりは、
画面と生演奏、両方同時に観ている我々が違和感を感じないよう、
役を演じているようで、これもよかったですね。


大変貴重な映画鑑賞・コンサートで、大満足、堪能しました。

教会探訪【File.007】:カトリック松が峰教会

2019-02-22 00:04:53 | 教会など
都内にある色々な教会を観て回っています。
旅行先でも観光地だけでなく、その地の教会を訪れたりしています。
それぞれに歴史と個性がありますね。

昔撮ったものも含めて結構写真が増えてきたので、
整理と備忘録を兼ねてアップしていこうと思います。

※聖堂内は「祈りの場」なので、信者の方々の邪魔にならないよう
 可能な場合のみ撮影しています。


◆カトリック松が峰教会(教会堂名:聖マリアの誕生)
住所:栃木県宇都宮市
創立:1888年



宇都宮市の大谷町で採掘される「大谷石」が壁に用いられています。
堂々たる姿です。




甲府教会と同様、あまり写真を撮っていません。
また、ミサが行われていましたので、聖堂内は撮影できませんでした。

教会探訪【File.006】:カトリック甲府教会

2019-02-20 23:26:12 | 教会など
都内にある色々な教会を観て回っています。
旅行先でも観光地だけでなく、その地の教会を訪れたりしています。
それぞれに歴史と個性がありますね。

昔撮ったものも含めて結構写真が増えてきたので、
整理と備忘録を兼ねてアップしていこうと思います。

※聖堂内は「祈りの場」なので、信者の方々の邪魔にならないよう
 可能な場合のみ撮影しています。


◆カトリック甲府教会(教会堂名:無原罪の聖母)
住所:山梨県甲府市
創立:1904年



聖堂内です。なぜか、外観を撮影した写真がない。

まだ、教会建築の美しさに気づいていなかった頃でした。

他の教会と比べると、割と変わった作り(形)のように感じます。
今にして思えば・・・ですが。もっとちゃんと見ておけばよかった。
(写真も撮っておけばよかった)



天井の装飾(絵)も珍しいです。それも日本のお寺の天井画のようですね。


※昔行った教会は、撮るべきポイントもわからず、
 こんな中途半端な感じの写真が多いです。