記録的な大ヒットとなっている映画『君の名は』を、遅ればせながら観てきました。
割と涙もろい自分に対して、妻の「泣くかな?泣くかな?」の
(若干半笑い気味?での)問いかけは、
「そんなの観てみないとわからん」と、まずは素っ気なくいなしました。
映画に限らず、小説でも音楽でもなんでもそうでしょうが、
いつ(何歳ごろ)出会うか、その時の自分の状況がどうだったか、
で心に残る大切な作品になるかどうかは、大きく変わってきます。
青春時代というのは、歌の歌詞ではないですが、
その真っ只中にいる時にはそうとは気づかず、後になってから
「あの時が自分の青春だったのかなあ」と思い出されるものです。
ですから「青春映画」というのは、本来は、
これから「青春」を向かえる人たち(「青春」に憧れている人たち)、
あるいは過ぎ去った「青春」を懐かしむ人たちにこそ相応しいのかもしれません。
新海誠監督の作品はこれまで、
「言の葉の庭」の冒頭を少し観たことがあるだけで、
背景描写など絵がきれいだなあといった程度の認識でした。
「セカイ系」という言葉も、目に耳にしたことはありますが、
具体的にどのような概念なのかはよく知りませんでした。
新海誠さんの今までの作品や『君の名は』も、そのジャンルだということも
全く知らずに観ました。
(「セカイ系」という言葉の定義そのものが曖昧なので
一括りにしてはいけないのかもしれませんが)
ただ、改めて「セカイ系」と言われると、この映画の(私の)感想というか、
胸に去来するものの意味など、腑に落ちる気がします。
観終ったあとの妙に懐かしいあの気分・・・というか精神状態・・・。
今からもう四半世紀前、大学時代の一番なんだかわからなかった頃、
大きな影響を受けたのが松浦理英子さんの小説でした。
なかでも「ナチュラル・ウーマン」が一番好きな作品ですが、
と同時に、映画化された「ナチュラル・ウーマン」も
それ以上に自分にとって大きく重い存在でした。
映画「ナチュラル・ウーマン」の話はとりあえず置いておきますが、
『君の名は』を観終った時に感じた「何か」は
自分にとっては、あの時の「何か」を思い出させるものでした。
長らく忘れていた懐かしい、あれ以来感じたことのない「何か」・・・。
『君の名は』を観て、突然あの頃の感覚が蘇ってきました。
「ナチュラル・ウーマン」は自分にとっての「セカイ系」だったのか・・・。
過ぎ去った「何か」を懐かしむ人にこそ相応しい・・・
その意味で『君の名は』は、素晴らしい「青春映画」であり「セカイ系映画」でした。
映画を観終った後、即座に妻の(若干半笑い気味?での)
「泣いた?」の質問。
「泣かない理由がわからない。なぜ泣かないのかわからない。」
と応えました。
アラフィフ(男)ですがわるいですか?
『君の名は』
監督:新海誠
脚本:新海誠
原作:新海誠
出演者:神木隆之介、上白石萌音
「ナチュラル・ウーマン」に描かれた世界はまさしく、
「私」が中心の、閉じた「セカイ」です。
万人に受け入れられ、共感される世界ではありません。
ですから、『君の名は』のこの大ヒットは、
日本という「世界」そのものが「セカイ」へとなりつつあることの証なのでしょうか。
それとも、もともと日本という国自体が「セカイ」だったのでしょうか。
私は後者だと思います。
世界から見て「日本」が、ある種の閉じた「セカイ」だからこそ、
(ほかの国の)人々はそこに幻想を抱き、憧れを感じるのかもしれません。
割と涙もろい自分に対して、妻の「泣くかな?泣くかな?」の
(若干半笑い気味?での)問いかけは、
「そんなの観てみないとわからん」と、まずは素っ気なくいなしました。
映画に限らず、小説でも音楽でもなんでもそうでしょうが、
いつ(何歳ごろ)出会うか、その時の自分の状況がどうだったか、
で心に残る大切な作品になるかどうかは、大きく変わってきます。
青春時代というのは、歌の歌詞ではないですが、
その真っ只中にいる時にはそうとは気づかず、後になってから
「あの時が自分の青春だったのかなあ」と思い出されるものです。
ですから「青春映画」というのは、本来は、
これから「青春」を向かえる人たち(「青春」に憧れている人たち)、
あるいは過ぎ去った「青春」を懐かしむ人たちにこそ相応しいのかもしれません。
新海誠監督の作品はこれまで、
「言の葉の庭」の冒頭を少し観たことがあるだけで、
背景描写など絵がきれいだなあといった程度の認識でした。
「セカイ系」という言葉も、目に耳にしたことはありますが、
具体的にどのような概念なのかはよく知りませんでした。
新海誠さんの今までの作品や『君の名は』も、そのジャンルだということも
全く知らずに観ました。
(「セカイ系」という言葉の定義そのものが曖昧なので
一括りにしてはいけないのかもしれませんが)
ただ、改めて「セカイ系」と言われると、この映画の(私の)感想というか、
胸に去来するものの意味など、腑に落ちる気がします。
観終ったあとの妙に懐かしいあの気分・・・というか精神状態・・・。
今からもう四半世紀前、大学時代の一番なんだかわからなかった頃、
大きな影響を受けたのが松浦理英子さんの小説でした。
なかでも「ナチュラル・ウーマン」が一番好きな作品ですが、
と同時に、映画化された「ナチュラル・ウーマン」も
それ以上に自分にとって大きく重い存在でした。
映画「ナチュラル・ウーマン」の話はとりあえず置いておきますが、
『君の名は』を観終った時に感じた「何か」は
自分にとっては、あの時の「何か」を思い出させるものでした。
長らく忘れていた懐かしい、あれ以来感じたことのない「何か」・・・。
『君の名は』を観て、突然あの頃の感覚が蘇ってきました。
「ナチュラル・ウーマン」は自分にとっての「セカイ系」だったのか・・・。
過ぎ去った「何か」を懐かしむ人にこそ相応しい・・・
その意味で『君の名は』は、素晴らしい「青春映画」であり「セカイ系映画」でした。
映画を観終った後、即座に妻の(若干半笑い気味?での)
「泣いた?」の質問。
「泣かない理由がわからない。なぜ泣かないのかわからない。」
と応えました。
アラフィフ(男)ですがわるいですか?
『君の名は』
監督:新海誠
脚本:新海誠
原作:新海誠
出演者:神木隆之介、上白石萌音
「ナチュラル・ウーマン」に描かれた世界はまさしく、
「私」が中心の、閉じた「セカイ」です。
万人に受け入れられ、共感される世界ではありません。
ですから、『君の名は』のこの大ヒットは、
日本という「世界」そのものが「セカイ」へとなりつつあることの証なのでしょうか。
それとも、もともと日本という国自体が「セカイ」だったのでしょうか。
私は後者だと思います。
世界から見て「日本」が、ある種の閉じた「セカイ」だからこそ、
(ほかの国の)人々はそこに幻想を抱き、憧れを感じるのかもしれません。