国立新美術館で『貴婦人と一角獣展 ~The Lady and the Unicorn~』を
観てきました。
『貴婦人と一角獣』は6枚の連作からなるタピスリーで、
15世紀末のフランドルで織られたものとされています。
(ちなみにタピスリーは仏語で、英語ではタペストリーだそうです)
6枚のタピスリーのうち5枚は五感、
すなわち「味覚」「聴覚」「視覚」「嗅覚」「触覚」を示しており、
残りの1枚は「我が唯一つの望み」と題されています。
これらの感覚が意味するところや、一角獣とキリスト教との関係、
「我が唯一つの望み」という言葉の解釈等々、いろいろ興味深い解説もあるのですが、
それよりも、作品としてはかなり巨大なこれらの「絵」をどう観るか・・・。
絵画は、
それが誰かの発注によって描かれた場合は依頼主の要望によって、
あるいは描かれる対象(花や果物、動物、群集、建造物、山など)、
あるいは用いる技法や描く場所(油絵具、水彩、エッチング、はたまた壁画)などによって
絵のサイズがある程度決まってきます。
そして出来上がった作品の大きさ(小ささ)によって、
今度はそれを設置する空間の広狭や、鑑賞する(のに相応しい)位置などが決まります。
『貴婦人と一角獣』の中で最大の「我が唯一つの望み」は縦3.77m×横4.66mもの大きさです。
「我が唯一つの望み」
実際、鑑賞するにはかなり作品から離れなければなりませんが、そうすると細部がよくわからない。
近づいて細部を鑑賞しようとすると、全体像が把握できない・・・。
このような巨大な作品はきっと、一度や二度、観賞してどうのこうの・・・という
性質のものではないのでしょう。
貴族の宮殿の大広間に飾られ、そこに住む人々が日々眺めては新たな発見をし、
また、その日の気分や感情によって違った見え方、意味を帯びてくる、というような。
教会の巨大なステンドグラスやシスティーナ礼拝堂の天井画なども同じかもしれません。
(もちろん、そもそも絵によってキリスト教の教えを説くためのものでしょうが)
毎週のように訪れて眺めている中で、はじめて意味を持つ(意味がわかる)。
「味覚」
「聴覚」
「視覚」
「嗅覚」
「触覚」
どの絵も、真ん中に貴婦人(と侍女)、左右に獅子と一角獣、という構図は同じですが、
「聴覚」と「嗅覚」は縦長のせいか、他の作品よりも視点が高い位置にあるように感じます。
(足元の円形の部分の描き方(角度)が異なります)
特に「聴覚」は展示場内で、どこから観るべきなのか違和感を感じました。
もしかしたら、完成当時は高い場所(例えば階段の上からとか)から眺めるように
飾られていたのかな、なんて想像しました。