前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

ハイドン先生のお言葉 「大活躍」

2010-10-26 08:54:19 | 先生のお言葉


フェリックス・メンデルスゾーン君は作曲だけでなく、
バッハ大先生の「マタイ受難曲」の復活上演をしたり
大活躍だったそうですね。

若くして亡くなってしまいましたが・・・。

メンデルスゾーン 交響曲第4番イ長調『イタリア』 (N響定期)

2010-10-25 09:01:34 | NHK交響楽団
N響定期公演を聴いてきました。

曲目は

 メンデルスゾーン 交響曲第4番イ長調『イタリア』
 ドヴォルザーク チェロ協奏曲ロ短調

指揮はネルロ・サンティ、チェリストは堤剛です。

メンデルスゾーンは普段、ほとんど聴きません。
せいぜい、弦楽八重奏曲変ホ長調と
「真夏の夜の夢」序曲くらいでしょうか。


改めて交響曲第4番『イタリア』を聴いてみて、
ちょっと意外な感じがしました。
もっと「ロマン派」的な曲だと思っていましたが、
結構「古典派」的な曲ですね。

管楽器は典型的な2管編成です。
緩徐楽章(第2楽章)で、
トランペットとティンパニがお休みなのも
ハイドン先生時代の交響曲を彷彿とさせます。

番号と作曲順がバラバラなのも
ハイドン先生ゆずり?


もう一曲、
ドヴォルザークのチェロ協奏曲ですが・・・。

自分の中では、サンティ氏はもっと楽しい、
エネルギッシュな演奏をする印象だったのですが。
さすがに今年79歳の御大、
体調がすぐれなかったのでしょうか?

テンポは遅めでしたが、"緊張感漂う"というより
"間延びした"といった方が正しいと思います。
フレーズ同士、楽器群が全く溶け合っていない、
響き合っていない、という感じでした。
独奏チェロとオーケストラも同様・・・。


「とてもよい演奏だった」「感動した」
という方には申し訳ないですが、
私にとっては全く楽しくない演奏でした。

中山康樹 『エレクトリック・マイルス 1972-1975』

2010-10-21 09:18:09 | 
中山康樹さんの著書
『エレクトリック・マイルス 1972-1975』
(ワニブックス新書)
を読みました。


中山康樹さんのマイルス関係の著作では、

 「マイルス・デイヴィス 青の時代」(集英社新書)
 「マイルスの夏、1969」(扶桑社新書)

をすでに読んでいます。


「青の時代」は『Kind Of Blue』誕生まで、
「マイルスの夏」は『Bitches Brew』誕生までの軌跡を
丹念に追っています。

本作品は、その後の
『On The Corner』、『Get Up With It』、
そして『Agharta』、『Pangaea』という
1975年に日本でライブ・レコーディングされた
アルバム誕生のまでの経緯が書かれています。


新たな(画期的な)作品が生まれるまでに、
マイルスがどんな音楽に興味を持ち、誰と出会い、
どのようなセッションを繰り返したか、という部分が、
様々な資料や関係者へのインタビューを交えて
ある意味淡々と(ルポルタージュのように)描かれます。

しかしながら、関係者の経年による記憶違いや
(虚栄心からの?)矛盾を一つひとつ丹念に検証していき、
マイルスの真意を探っていく様子は
ミステリー小説のようにスリリングでもあります。


どのようなジャンルの音楽でもより深く理解しようとするなら、
曲を聴くだけでなく、それなりの「勉強」が必要だと思います。

その点、ジャズは音楽理論などがある程度わからないと
その「真の面白さ、凄さ」に気付くのは難しいです。


私のとってはクラシック音楽よりも遥かに手強いです。

ベルナール・ビュフェ美術館 in クレマチスの丘

2010-10-11 13:48:00 | 美術関係
静岡県の「クレマチスの丘」にある
ベルナール・ビュフェ美術館に行ってきました。

同美術館は、ビュフェの作品に魅せられた
岡野喜一郎氏が蒐集・設立した私設美術館ですが、
今では2,000点を超える収蔵作品を誇る
世界最高のビュフェ美術館です。


ビュフェの作品は、
一度、損保ジャパン東郷青児美術館で観ました。

太く鋭利な黒の輪郭線で直線的に描かれは風景や人物は
とても印象的で、日本でも人気があります。


暗い色調、鋭利な線、不安な表情などは
第二次大戦後の荒廃した世相を反映しているといわれますが、
作品には"反戦"や"平和への希求"といったメッセージ性はなく、
むしろ、ビュフェ個人の"不安"や"孤独"といった
自身の心象が強く反映してるのだと思います。


インタビュー記事などを読むと、
過去の偉大な芸術家にもあまり関心がないようで、
おそらく、自分自身と自分が描く絵にしか
興味がなかったのでしょう。

その意味でも、非常に「内向的」な絵といえます。
だからこそ人々の共感を呼ぶのかもしれません。


30歳の時にアナベルと結婚し、それ以降
彼女は作者にとっての「ミューズ」となります。

でも二人の写真を見ると、
とても似ているという印象を受けます。
ビュフェにとっては"二卵性の双子"、"もう一人の自分"
という存在だったのでは、と感じます。


晩年、病気を患い絵が描けなくなったビュフェは
自ら命を絶ちます。
最後まで、
"自分自身"と"絵を描く自分"しかなかったのでしょう。




それにしても、
国内でこれだけのビュフェ作品を観られるのは
本当に凄いことだと思います。

世界に誇るべき美術館だと思います。