「今の時代の日本に"オオカミ信仰"が生きていると言うと信じるかね?」
ETV特集『見狼記~神獣ニホンオオカミ~』はこんなナレーションで始まりました。
1905年に絶滅したとされるニホンオオカミを今も探し続ける人、
「オオカミ信仰」を続ける人達の物語です。
ニホンオオカミは古来から「大口真神(オオクチノマカミ)」と呼ばれ、
神獣、神様の使い「御眷属(ごけんぞく)」として信仰の対象となっていました。
かつてニホンオオカミが数多く生息していた埼玉県、奥秩父の山々。
秩父地方には、三峯神社を筆頭にオオカミを祀る神社が21社もあります。
ここ奥秩父で1996年にニホンオオカミ(らしきもの)に遭遇した男性がいます。
その写真は全国紙の一面で紹介されました。
(詳しくはこちらを→「
NPO法人ニホンオオカミを探す会」)
この方は1969年、帰宅途中にオオカミらしき獣の遠吠え聞き、一旦引き返したおかげで、
本来乗るはずだったバスの転落事故から逃れたという経験があります。
そして約25年後、実際にオオカミ?と遭遇する・・・。
埼玉県上新田地区では、16軒の家が「オオカミ講」というのを組んでおり、
毎月持ち回りで「お炊き上げ」といってご飯をお供えするそうです。
そこで実際に「お炊き上げ」を行なっている方の話は大変興味深いものでした。
あそこに行って(お供えする際)手を合わせて願いごとをしようと思っても
言葉が浮かんでこない・・・あれは変なもんだよ・・・。
その他にもニホンオオカミと遭遇した方々のお話がありましたが、
どなたも決して"狂信的"という感じは全くしません。
ここに「宗教」と「信仰」の違いを見るような気がします。
辞書で調べると
宗教・・・神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき
信仰・・・神仏などを信じてあがめること
とあります。
「言葉」としてはどちらも同じような意味(概念と行動の違い?)ですが、
私は「利」を求めるか否かにも、その違いがあるのではと感じました。
多くの宗教は、現世利益(幸せな人生を送ること)、
あるいは来世利益(天国・極楽に行ける、より徳のある人間に生まれ変われる等)
を求める(約束する)ものではないでしょうか。
一方、信仰は何かを「畏れ敬う」こと、
人間の知恵や力ではどうにもならない自然災害や疫病の流行があった時、
「どうか怒りをお鎮め下さい」と祀ることなのではないでしょうか。
「願いごとをしようと思っても言葉が浮かんでこない」というのは、
そもそも信仰が「お願い事の対象ではない」ことの表れのような気がします。
何かを求める(願う)のではなく、その存在自体を畏れる・・・
番組は、ニホンオオカミを巡る物語として、さらに驚くべきエピソードを紹介します。
ニホンオオカミの血を引く野犬同士を交配させ、血を濃くしてオオカミを復活させようと
試みた人がいたということです。
30年に渡って交配を続けた結果、オオカミに似た個体を「戻りオオカミ」と名付けました。
その「戻りオオカミ」の最後の一頭がまだ生きています。
もうかなりの年(犬齢)のようでした。
犬の種類には詳しくありませんが、その(ある種"異様"な)姿は、
年のせいなのかオオカミの血のせいなのかはわかりませんが、普通の「犬」には見えませんでした。
それは単に先入観のせいでしょうか。本当に「イヌならざるモノ」なのでしょうか。
1996年に撮影されたニホンオオカミらしき獣を、唯一評価した専門家、
イリオモテヤマネコの実在を証明した動物分類学者、今泉吉典の言葉です。
いないと思ったときに終わる・・・
イエティやネッシー、ツチノコを探すこととは異なる"神聖さ"を感じた番組でした。