前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに、

2012-02-28 21:45:34 | 
『平成3年5月2日、後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士、並びに、』
これが本のタイトルです。正確には本の冒頭部分を便宜上タイトルとしたものですが。

ちなみにこの後は
「平成4年12月25日、筋萎縮性側索硬化症にて急逝された榊原景一博士の御冥福を・・・」
と続きます。作者は石黒達昌さんです。


先日のETV特集『見狼記~神獣ニホンオオカミ~』を観て、
ニホンオオカミの血を引くと思われる野犬を交配させ血を濃くして、
ニホンオオカミを復活させようと試みた人がいた、ということを知りました。

この時、真っ先に思い出したのが、冒頭およびその続編である『新化』という作品です。

どちらも横書き、グラフや参考写真が挿入された報告書の形式を採っています。
(巻末には参考文献まで掲載されています。全て"実在"しているのかわかりませんが)


北海道旭川「神居古潭(カムイコタン)」にのみ生息していたといわれる「ハネネズミ」。
全く独自の進化を遂げたと思われるその生態に注目が集まりますが、
本格的な研究が始まったときには、ハネネズミはすでに絶滅に瀕していました。

  背中に生えた小さな羽
  分析できない機能不明の臓器
  血と同じ成分の涙
  ペアリングの際に発光する羽
  不死に近いほどの永い寿命
  生殖による死のスイッチの作動

多くの謎を残しつつ「絶滅」したハネネズミと、難病に冒され急逝した研究者。

生命とは? 進化とは? 生とは? 死とは・・・・?
淡々とした筆致(報告)が、静かな興奮と余韻を残します。


そして続編の『新化』では、残された研究データと遺伝情報の分析を始めた研究者が、
同じ神居古潭で偶然発見した新種と思しきネズミ「エンジェルマウス」を使い、
近親交配を繰り返すことでハネネズミを復活させようと試みます。

そして、その過程で再度突きつけられる、生命の進化とは、生とはという問い・・・。


東京大学医学部卒で医師でもあった作者の作品は、他に『最終上映』、『94627』を読みましたが、
死生観(などと単純に言えるものではありませんが)や進化に対する考え方などが色濃く出ており、
ミステリー小説のような面白さと同時に、科学書や哲学書を読んでいるような興奮を覚えます。


残された3匹のハネネズミ(絶滅した最後の個体)のDNAは全て同じだったことが
分析の結果、明らかになります。
"限られた空間と限られた個体"という自然環境の中で、奇跡的な純化を遂げたハネネズミ。

全く同じDNAを持つ親同士から生まれた子は、当然同じDNAを持ちます。
「DNAの保存と複製」こそが生命の本質であるならば、
完全な同一個体を生み続けるハネネズミは「永遠の生命」を得たことになります。

しかし、生殖行動により"死のスイッチ"が作動し、出産と個体死が極めて近接した結果、
タイミングのわずかなズレ(出産の前に死が訪れてしまう)が起きたことで、
ハネネズミは絶滅への道を辿ったと推論されています。


「ハネネズミ」の絶滅が何を暗示しているかは言うまでもないでしょう。

NHK ETV特集 『見狼記~神獣ニホンオオカミ~』

2012-02-26 08:46:53 | テレビ番組
「今の時代の日本に"オオカミ信仰"が生きていると言うと信じるかね?」


ETV特集『見狼記~神獣ニホンオオカミ~』はこんなナレーションで始まりました。

1905年に絶滅したとされるニホンオオカミを今も探し続ける人、
「オオカミ信仰」を続ける人達の物語です。


ニホンオオカミは古来から「大口真神(オオクチノマカミ)」と呼ばれ、
神獣、神様の使い「御眷属(ごけんぞく)」として信仰の対象となっていました。

かつてニホンオオカミが数多く生息していた埼玉県、奥秩父の山々。
秩父地方には、三峯神社を筆頭にオオカミを祀る神社が21社もあります。


ここ奥秩父で1996年にニホンオオカミ(らしきもの)に遭遇した男性がいます。
その写真は全国紙の一面で紹介されました。
(詳しくはこちらを→「NPO法人ニホンオオカミを探す会」)

この方は1969年、帰宅途中にオオカミらしき獣の遠吠え聞き、一旦引き返したおかげで、
本来乗るはずだったバスの転落事故から逃れたという経験があります。
そして約25年後、実際にオオカミ?と遭遇する・・・。


埼玉県上新田地区では、16軒の家が「オオカミ講」というのを組んでおり、
毎月持ち回りで「お炊き上げ」といってご飯をお供えするそうです。
そこで実際に「お炊き上げ」を行なっている方の話は大変興味深いものでした。

  あそこに行って(お供えする際)手を合わせて願いごとをしようと思っても
  言葉が浮かんでこない・・・あれは変なもんだよ・・・。

その他にもニホンオオカミと遭遇した方々のお話がありましたが、
どなたも決して"狂信的"という感じは全くしません。

ここに「宗教」と「信仰」の違いを見るような気がします。


辞書で調べると
  宗教・・・神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき
  信仰・・・神仏などを信じてあがめること
とあります。
「言葉」としてはどちらも同じような意味(概念と行動の違い?)ですが、
私は「利」を求めるか否かにも、その違いがあるのではと感じました。

多くの宗教は、現世利益(幸せな人生を送ること)、
あるいは来世利益(天国・極楽に行ける、より徳のある人間に生まれ変われる等)
を求める(約束する)ものではないでしょうか。

一方、信仰は何かを「畏れ敬う」こと、
人間の知恵や力ではどうにもならない自然災害や疫病の流行があった時、
「どうか怒りをお鎮め下さい」と祀ることなのではないでしょうか。

「願いごとをしようと思っても言葉が浮かんでこない」というのは、
そもそも信仰が「お願い事の対象ではない」ことの表れのような気がします。
何かを求める(願う)のではなく、その存在自体を畏れる・・・


番組は、ニホンオオカミを巡る物語として、さらに驚くべきエピソードを紹介します。

ニホンオオカミの血を引く野犬同士を交配させ、血を濃くしてオオカミを復活させようと
試みた人がいたということです。
30年に渡って交配を続けた結果、オオカミに似た個体を「戻りオオカミ」と名付けました。
その「戻りオオカミ」の最後の一頭がまだ生きています。

もうかなりの年(犬齢)のようでした。
犬の種類には詳しくありませんが、その(ある種"異様"な)姿は、
年のせいなのかオオカミの血のせいなのかはわかりませんが、普通の「犬」には見えませんでした。
それは単に先入観のせいでしょうか。本当に「イヌならざるモノ」なのでしょうか。


1996年に撮影されたニホンオオカミらしき獣を、唯一評価した専門家、
イリオモテヤマネコの実在を証明した動物分類学者、今泉吉典の言葉です。

  いないと思ったときに終わる・・・


イエティやネッシー、ツチノコを探すこととは異なる"神聖さ"を感じた番組でした。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調 (ホルヘ・ボレット)

2012-02-25 19:55:06 | クラシック音楽
ホルヘ・ボレットが弾くラフマニノフのピアノ協奏曲第3番ニ短調は
今まで2種類の演奏を聴いたことがありました。

一つは、DECCAから出ていた
イヴァン・フィッシャー指揮ロンドン交響楽団のもので1983年の録音。
もう一つはN響アワーで放送されたもので、
デーヴィッド・アサートン指揮、1988年N響定期公演での演奏です。

DECCA盤はイヴァン・フィッシャーの指揮も含めて大変素晴らしい演奏です。
私は有名な第2番よりも第3番の方が好きなのですが、
この曲のスケールの大きさを余すところなく伝えていると思います。

N響との共演は、演奏している姿が観られるという点で大変貴重なのですが、
年齢のせいか、演奏自体はDECCA盤ほどの活力が感じられません。


今回、インディアナ大学交響楽団と演奏したCDを入手しました。
(指揮者名は明記されておりません)
1969年のライブ録音です。

音質は決して良いとは言えませんが、
ボレット54歳(か55歳)、まさに油の乗り切った時期でしょうか。
ライブ特有の熱気、前出二つにはない若々しい迫力、でありながら圧倒的なテクニック。
素晴らしい! ブラボー!!


ボレットによる「静」と「動」のラフマニノフ第3番。
2枚ともお宝です。


<余談>
ピアノはDECCA盤のみBechstein、他二つはBoldwinを使用しているようです。