前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

バベットの晩餐会

2015-04-19 11:13:37 | 舞台・映画など
吉井亜彦著「名盤鑑定百科~交響曲篇~」を以前から愛読していますが、
この本は、作品の技術的側面や音楽史的な意義の解説というよりは
筆者がその作品とどう向き合ってきたかということがエッセイ風に語られていて、
読み物としてもとても面白く、また新しい発見もあります。


なかでも、ブラームスの交響曲第4番ホ短調に関する友人との会話、
この曲に対する吉井さんの想いは、とても印象的でした。
第4楽章のパッサカリアについて

  このパッサカリアの意味あいがわかるか否かは、
  そのひとがどのように生きて来たのか、
  どのような価値観をもっているのかを理解するうえで、
  ひとつの重要なキーだろうな。・・・

べつに意味合いがわかるか否かが、いい悪いということではありませんし、
そもそも、その「意味あい」が作者以外の人にわかるのかどうか。

晩年に創られた(結果的に)最後の交響曲の終楽章に、
当時でも時代遅れだったとされるパッサカリアという技法を用いた
作者の気持ちは・・・。

ロマン派の時代にあって、
なおベートーヴェンやバッハに範をとった古典的作風だったブラームスの
「自分は古臭い人間だから・・・」というある種の自嘲が含まれているのか、
それとも「古き良きもの」を、いや、古くてもなお輝きを放つ技法を
自信をもって世に問うたのか。


1987年のデンマーク映画『バベットの晩餐会』を観て、そのことを思い出しました。
『バベットの晩餐会』も、ブラームスのパッサカリアのようなものなのかもしれません。


牧師であった父の教えを守り、年老いた信者とともに寒村で慎ましく暮らす老姉妹。
彼女らを頼り母国フランスから亡命してきて、家政婦として働くバベット。
晩餐会後に明らかになる彼女の素性・・・。


芸術家にとっての不幸は貧しさではなく、己の技術と才能を存分に発揮できないことである。

真の「芸術家」が、その持てる才能と技量の全てを表現し尽くした時、
人々の心になにが起きるのか・・・人々はどうかわるのか・・・

そのラストは、私の大好きな映画「無伴奏~シャコンヌ~」を彷彿とさせます。
(作品自体はバベットの方が古いですが)


過去の過ちも正しさも、成功も失敗も含めて、自分が選んで歩んできた人生は、
最期に全て肯定される・・・


そんな想いに駆られる、素晴らしい作品でした。


  製作:ボー・クリステンセン
  監督・脚本:ガブリエル・アクセル
  原作:アイザック・ディネーセン
  撮影:ヘニング・クリスチャンセン
  音楽:ペア・ヌアゴー
  出演:ステファーヌ・オードラン/ボディル・キェア
  (1987年/デンマーク)