前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

日曜美術館 『20世紀との対話 ~森村泰昌の創作現場~』

2010-04-25 22:00:21 | 美術関係
NHK日曜美術館、
『20世紀との対話 ~森村泰昌の創作現場~』を見ました。


 森村泰昌さんは、有名な絵画や写真の人物に扮して自分自身を撮影する
 「セルフ・ポートレイト」と呼ばれる手法の作品を創作されています。


森村さんの作品は、以前に雑誌などで、
マリリン・モンローなどに扮した写真を見た記憶がありますが、
まあ、名前を知っていた程度です。


NHKの日曜美術館という番組は、一人の作家や作品を取り上げて
研究者やその作家・作品を愛する著名人などをゲストに向かえ
スタジオトークを交えながら紹介する回もあれば、
一人の作家が作品を創る過程に密着する回もあります。

私は作家が自作について語るのを聞くのが好きではありません。
「作品を解釈する自由」を奪ってしまうからです。
今回の番組は後者なのであまり期待していなかったのですが、
ある意味、稀にみる意義深い番組でした。



ロシア革命の指導者・レーニンが赤の広場で労働者達に演説する写真をモティーフに、
森村さんの出身地である大阪の「あいりん地区(釜ヶ崎)」でレーニンに扮した
『なにものかへのレクイエム(夜のウラジーミル 1920.5.5-2007.3.2)』
という作品についてです。


夜のウラジーミル


なにものかへのレクイエム


写真はレンブラントの歴史画のような崇高なイメージに仕上がっています。
実際に釜ヶ崎で暮す労働者達を雇って作品は創られていますが、
それに対して、番組アナウンサーの中條誠子さんが
「失礼な言い方かもしれませんが・・・」と断わりながら
次のような疑問を作者にぶつけます。

 釜ヶ崎で日々、必死に暮す人達がいる。
 森村さんはそこで芸術作品を創るために照明を焚いて写真を撮る。
 そしてその作品を我々は美術館に行って鑑賞する。
 その事に対してとても複雑な思いが沸いてくる・・・

というような質問です。


それに対して森村さんは、

 自分と彼等が全く違う立場だということをひしひしと感じる。
 あそこ(釜ヶ崎)に行かなければなにも問題はない、
 なにも起こらない、だけれども私はあえてそこへ行く。
 この作品が彼等のためになる、などとは全く思っていない・・・
 でも私はこの作品が創りたい。
 自分は芸術家であるから自分の仕事は"美"を生み出すことだ。 

というようなことを、きっぱりと答えます。


"芸術とは何か、美とは何か"という素朴な問いを、こういった「美術番組」の中で
作者に伝え、本音の答えを引き出す場面はめったにありません。
いい番組だったと思います。


"予定調和"ではない、この質問をした中條アナウンサーも凄いと思います。

N響定期 ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調 『英雄』

2010-04-20 18:54:34 | NHK交響楽団
ベートーヴェンの交響曲第3番変ホ長調『英雄』を聴きました。


2月17日のエントリーで書きましたが、
『英雄』は音楽史に燦然と輝く傑作でありながら、苦手な曲です。

今回の演奏は今までで一番楽しめましたし、
「いい曲だなあ」と(少し)感じました。
指揮がブロムシュテット氏だったので、
実は「もしかしたら」という予感というか期待がありました。


ブロムシュテット氏の指揮には思い出があります。
N響の定期公演に行くようになって、もう十数年になりますが、
会員になって1年くらいたった頃でしょうか。
氏の指揮でベートーヴェンの交響曲第7番を聴きました。


元々大好きな曲ですが、最初の和音が鳴らされてすぐ、
「ああ、いい演奏だなあ」と思いました。
有名な第2楽章も改めていい曲だなあと感じました。
幸福感に包まれながら聴いていましたが、
第4楽章途中で突然、涙が出てきました。


クラシック音楽の演奏会で涙が出てきたのは初めてのことで、
ちょっと狼狽?しました。
「もうすぐこの素晴らしい演奏が終わってしまう」という
気持ちだったのでしょうか。
それとも「曲の美しさ」に心を揺さぶられたのでしょうか。


取り立てて個性的な演奏ではなかった思いますし、
斬新な解釈があったわけでもないと思います。
むしろオーソドックスな、でもとても丁寧な演奏でした。

それ以来、氏の生演奏を聴くことは、自分にとって特別なこととなりました。



今回もブロムシュテット氏に『英雄』の面白さを教えてもらった気がします。

フォーレ ピアノ五重奏曲第2番のつづき

2010-04-15 12:08:13 | クラシック音楽
前回に引き続き、フォーレのピアノ五重奏曲第2番です。


今回、第1楽章冒頭の楽譜を見て、
初めてこの楽章が「4分の3拍子」であることを知ったと書きましたが、
わかって聴いても、この冒頭部分はどうしても4拍子に聴こえます。
(冒頭部分以降はだんだんと、3拍子だなとわかってくるのですが)


ピアノのアルペジオが4拍奏でられた後、
第2小節の2拍目からヴィオラが出てきますので。
それにヴィオラの旋律そのものが、4拍子というか・・・。

試しに冒頭部分を4拍ごとに区切ってみると(譜例の赤線)、
ヴィオラ旋律のフレージングも違和感なくきれいにはまります。





4拍ごとに区切った時の「4小節目」の最後(青○の部分)のみ
付点音符のため、ちょっとズレが生じます。
まさにこの部分が、聴いていて二つの旋律を無理やり結合させたような
違和感というか不安感を感じるところです。

今まで感じていたこの旋律の不安定さ(の魅力)の理由が
わかったような気がしました。

調性もはっきりしないような感じで、
なんか短調から長調に移っていくように聴こえます。



最近はスコアを見ながら曲を聴くことはあまりないのですが、
たまに楽譜を見ると新たな発見がありますね。
(この曲を好きな人には周知のことだったかもしれませんが)


まだまだいろいろな"仕掛け"があるようですが、
改めて凄い曲だなあと感じました。
まさに「不滅の旋律」です。


2018/6/3追記
上記のような、本来の拍子とずらした拍子を用いることも
「ヘミオラ」というそうですね。
昨日買ったNAXOSのCDに書いてありました。
勉強になります。

フォーレ ピアノ五重奏曲第2番ハ短調

2010-04-13 19:00:33 | クラシック音楽
フォーレのピアノ五重奏曲第2番ハ短調を聴きました。


クラシック音楽は、多楽章形式の器楽曲の場合、
全部聴くと大体30~50分位になります。

平日に1曲まるまる聴くということは私の場合あまりありません。
(通勤中にipodで聴くことはありますが)
好きな楽章だけとか、もっと極端な場合は好きな部分(旋律)だけ
とかを「つまみ聴き」することが多いです。


たまに無性に聴きたくなる旋律や、この部分の展開がたまらない、
ここの楽器の使い方が天才的、という好みは誰でもあると思いますが、
特に旋律については、自分にとって「不滅の旋律」ともいうべきものが
いくつかあります。

フォーレのピアノ五重奏曲第2番第1楽章の旋律もまさに「不滅の旋律」です。
ピアノのアルペジオの後、2小節目からヴィオラで演奏されます。



(恥ずかしながら楽譜を見て知ったのですが3拍子なんですね)


表現が難しいのですが、中途半端というか割り切れない不安定さというか・・・。
二つの旋律を無理に結合させて、前の旋律が「解決」しないまま
次の旋律に移ってしまうような感じがするのです。
(旋律が始まって5小節目で、前半後半がわかれるような)

その"不安定さ"がなんともたまらない魅力です。
ヴィオラで奏でられた後は、少しずつ形を変えたり、
途中で転調したりして展開しますが、
冒頭と同じ形ではっきり現れるのは再現部1回のみだと思います。
なかなか出てこないところもグッとくる要因です。



私が普段聴いているのは、ヴィア・ノヴァ四重奏団とユボーの演奏です。
録音は1970年で、正直あまりクリアーな音質(録音)ではありません。
ちょっと"もや"がかかったような音ですが、
それが逆にこの曲の雰囲気にあっているような気がします。
(最近はリマスター盤も出ているようですが)

ヴィオラを弾いているのは、ジェラール・コーセです。
そういえば気に入っている演奏の中で、
彼がヴィオラを弾いているものがいくつかあります。
パレナン四重奏団でのフランクの弦楽四重奏曲や、
ゴールドベルグ変奏曲の弦楽三重奏版など・・・。


ヴィオラは弦楽器の中ではちょっと地味な存在ですし、
室内楽というジャンルそのものが地味といえば地味ですが、
そんな中でコーセは、存在感が光る「名脇役」(かつ名優)ですね。



余談ですが・・・
コーセという名前を聞いて「チャーリー・コーセー」を思い出す人は
40代以上だと思います。