前略、ハイドン先生

没後200年を迎えたハイドン先生にお便りしています。
皆様からのお便り、コメントもお待ちしています。
(一服ざる)

「ゴルトベルク変奏曲」パイプオルガン版(聖イグナチオ教会)

2024-06-29 16:10:20 | ゴルトベルク変奏曲
少し前になりますが、カトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)で
バッハの「ゴルトベルク変奏曲」パイプオルガン版を聴いてきました。



演奏は聖イグナチオ教会専属オルガニストの浅井寛子さんです。

「ゴルトベルク変奏曲」全曲は、2020年に弦楽三重奏版を聴いて以来2度目です。
その時も、会場は教会(横浜山手聖公会)でしたね。


鍵盤曲を弦楽器や管楽器で演奏するための編曲とは異なり
チェンバロ→パイプオルガンでは
素人考えでは演奏上の大きな違い(編曲の必要性)はないのかなと思いますが
どの音色(パイプ)を選ぶかで、曲の印象は大きく変わります。

そこ(音色の選択)に、演奏者(編曲者)の個性が表れるのでしょうか。

例えば、第10変奏は「フゲッタ(fughetta)=小規模なフーガ」とあるように
どちらかというと軽やかな曲という感じがありましたが
浅井さんは太めのパイプ?の音で重厚に演奏されました。
好きな曲なので注目していたのですが、音色でこんなにも曲の雰囲気が変わるのか~。


第16変奏は後半のスタートを飾る「序曲」ですが、パイプオルガンの華やかさが活きます。

演奏は、曲の前半のみ繰り返し、後半は1回のみ。
1曲(1変奏)終わるごとに、割と間を取ってじっくりと聴かせる構成でした。

最後の変奏曲(第30変奏)をどう演奏するかは以前に「ゴルトベルク変奏曲の物語について」に書いたとおり
興味(期待と不安)を持っていました。
前半はかなり盛り上げていましたが、後半はほかの変奏と同しく繰り返しをせず比較的あっさりとした演奏。

今まで曲間をしっかり取っていたので、アリア(Aria da capo)もそういう風に戻ってくるのかな?
と思っていたら、この部分のみほとんど間を置かず静かにアリアへと繋いでいきました。

予想外の「アリア」の再登場に思わず落涙。再現のアリアは前半・後半とも繰り返しなし。
消えるように幕を閉じました。


「ゴルトベルク変奏曲」はコンサートレパートリーとしても割と頻繁に取り上げられますが、
前出の弦楽三重奏版と同様、教会との相性がいいですね。
コンサートホールで全曲聴くのはちょっと退屈かもしれませんが
教会での「ゴルトベルク変奏曲」は荘厳さが増します。

ゴルトベルク変奏曲:ファジル・サイ

2024-02-23 19:59:26 | ゴルトベルク変奏曲
ファジル・サイ(Fazil Say)が弾くゴルトベルク変奏曲を聴きました。



トルコ出身のファジル・サイは
いわゆる有名なチャイコフスキー・コンクール、ショパン・コンクールなどで
優勝、入賞して華々しくデビューという感じではありません。
(ニューヨーク・ヤング・コンサート・アーティスト国際オーディションで優勝、らしいですが)

コンクール出身でない場合
若い頃からすでに"神童"、"天才"と呼ばれてデビューしている方もいます。
また一方で、"奇才(鬼才)"などという惹句がついて紹介される方もいます。

ゴルトベルク変奏曲つながりでいうと
グレン・グールドは"神童"として子供の頃から演奏活動を行いつつ
レコードデビュー以降は、その独特な演奏スタイルから"奇才"とも呼ばれていましたね。


私がファジル・サイの名前を知ったのは、ストラヴィンスキー「春の祭典」(ピアノ・ソロ版)です。
(聴いてはいません)
「春の祭典」はアシュケナージとガブリーロフによるピアノ・デュオ版はかなり愛聴していましたが
そもそも4管編成の大オーケストラ用の曲を、さらに一人で?と思いましたが、なんと多重録音!
まあ"奇才(鬼才)"といわれるのも当然かと。

最初に聴いたグールドの印象が強すぎるせいか、他のピアニストの演奏はあまり聴いていません。
また聴いても愛聴するまでにはなりませんでした。
ですので、塚谷水無子さんの「ブゾーニ編曲版」は"例外"でした。


前置きが長くなりましたが、ファジル・サイ盤『ゴルトベルク変奏曲』は
実は(予想に反して)全ての繰り返しを行っているので、聴くのを躊躇っていました。

前半はかなり軽快なタッチで、しかもジャズのような即興的雰囲気もあり楽しいのですが
すべて繰り返しの76分はやはり飽きてくる。
正直ちょっと期待外れでした。
ところどころ、変わった強弱のつけ方やリズム、声部の強調は、おっと思うのですが・・・
(特に第20変奏など出だしの部分はまるで違う曲のよう)

ピアノによるゴルトベルク変奏曲は、楽しさ、面白さがないときついですね。
だからどうしても編曲版に手が出てしまう・・・


こうしてみると、グールドのピアノによる演奏が
曲全体として統一感を持たせるというアプローチは"画期的"である一方で
いかにスムーズに各変奏が連なっていくか、いかに聴き易いかが改めて分かりました。

『ゴルトベルク変奏曲』の物語について②

2021-10-26 00:10:13 | ゴルトベルク変奏曲
前回の続きです。

それぞれの演奏家は第30変奏とアリア(Aria da capo)をどう演奏したのか。


グールドは1955年のデビュー盤について生前インタビューで語っていたそうですが
録音は30の変奏曲を先に行い、その後で冒頭および繰り返しのアリアを録ったようです。
それも「中立な性格」が達成されている21テイク目を採用したとのこと。

私の記憶違い(もしくは誰かの創作?)かもしれませんが、その"意図"は次のようなことだそうです。

30変奏もの長い長い"旅路"の果てに再び現れる「アリア」を
最初の「アリア」と同様に"真っ白"な気持ちで演奏する必要があった・・・
その後の様々な変化(変奏)をまだ知らない「無垢な姿」を表現するために・・・

事実かどうかわかりませんが、でも説得力のある、かつ魅力的な「物語」です。


1955年録音のデビュー盤『ゴルトベルク変奏曲』


シトコヴェツキー盤は大変素晴らしい大好きな演奏なのですが
「物語」という点でいうと、一箇所だけどうしても気になってしまう部分があります。
第30変奏の後半繰り返しです。
(青の部分)


ここで彼らは徐々にテンポを落とし音量を上げ、情感たっぷりに演奏します。
それこそ、聴くたびに涙が出るほど感動的に!
でも劇的で感動的であるがゆえに少し残念な気持ちにもなるのです。

曲はここで終わりではありません。第30変奏がクライマックスではないのです。


一方、グールドは第26変奏~第29変奏を颯爽と弾き切った後、
第30変奏は前半の繰り返しのみで静かに終わっていきます。
再び現れる「無垢なアリア」に引き継ぐように。


塚谷水無子さんが奏でるブゾーニ編曲の『ゴルトベルク変奏曲』は
また違った「物語」を聴かせてくれます。




ブゾーニの編曲では第29変奏~第30変奏~アリアを殆ど途切れなく演奏します。
2つの変奏曲はかなり編曲が加えられ、まるで一つの曲のように前の曲の余韻が残る中、次の曲を紡いでいきます。

そうして再び現れた「アリア」は、冒頭の「アリア」とは全く異なります。
ところどころ声部が消され、輪郭がかなり朧げになっています。
それはあたかも長い旅路の果て、遠い昔(若かりし頃の姿?)の記憶が薄れてしまったかのように・・・

曲の最後は本来4つの音(レ ソ ファ ソ)で終止しますが、ブゾーニの編曲版は終わりません。
同様の音型を2度繰り返した後、3度目でようやく全曲を閉じます。
この"拡大されたコーダ"を塚谷さんは「別れを惜しむかのように・・・」と記しています。


塚谷さんが弾くブゾーニ編曲版を聴くたびに感動する秘密がここにあります。


まだまだ聴いていない『ゴルトベルク変奏曲』が沢山ありますが、
その中からまた、新しい「物語」を聴かせてくれる演奏に出逢えるかもしれません。

『ゴルトベルク変奏曲』の物語について①

2021-10-23 00:45:44 | ゴルトベルク変奏曲
もともとバッハ大先生の『ゴルトベルク変奏曲』は大好きなのですが
いくつかの盤(版)を聴き直してみて改めていろいろ感じることがありました。


バロックから古典派の作品には楽譜に「繰り返し(演奏)」の指示が多々あります。

バロック時代は1回目は楽譜通り演奏し、2回目(繰り返し時)は即興を加えるということもあったようでが、
それ以上に「曲(旋律)を覚えてもらう」という意図が大きかったのではないでしょうか。

当時は音楽作品が聴けるのは生演奏のみで、それも頻繁にあったわけではないでしょうし、
今のように個人が(自分で演奏するのではなく)音楽そのものを繰り返し(好きなだけ)聴く
というようなことができないのですから。


「先生、大事なことなので2回言いました」という感じ。


『ゴルトベルク変奏曲』は32小節の低音主題が含まれている「アリア」で始まり
それに続き30曲の変奏が展開された後、再び「アリア」が奏でられて曲を閉じます。
(全32曲)

それぞれの曲は前半・後半に分かれており、その全てに「繰り返し」の指示があります。
これを"楽譜通り"に演奏するとCD1枚に収まらない場合もよくあります。
(つまり80分を超えるということ)


個人的な好みや"原典主義"的な方もおられると思いますが
私は正直「全部繰り返し」は飽きてしまうのであまり聴きません。

最初にグレン・グールドの演奏に慣れ親しんだからかもしれませんが
「適度」にもしくは「全部」省略されている方が好き、というより好きな演奏は全部そっちです。


グレン・グールド(1932.9.25-1982.10.4)


試しに、好きな演奏3種類の繰り返し状況?を比較してみました。
(○が繰り返し)

一部、他の方の資料を参考にしている部分もあります。
(私の勘違いもあるかもしれません)
ちなみにグールドのデビュー盤(1955年盤)は繰り返し一切なしです。


グールドはカノンと他数曲、それも前半部分だけの繰り返し。
シトコヴッツキー編曲(演奏)の弦楽三重奏版は、グールドの演奏にかなり"寄せている"印象があったのですが、
比較すると、繰り返しに関しては割と異なりますね。
前半・後半両方とも繰り返してますし。

第16変奏は「曲全体の後半部」の開始という意味合いで「序曲」と名付けられています。
この前半はかなり荘重な曲なので、繰り返すとさすがに重くなると判断したのでしょうか。
後半だけ繰り返しという、かなり珍しいパターンです。
(ピンク色の部分)

ただ、曲と曲との繋げ方など、やはりグールドを意識していると思われます。



ドミトリー・シトコヴェツキー(Vn)/編曲
ジェラール・コセ(Vla)
ミッシャ・マイスキー(Vc)


グールドの新録音(1981年盤)の魅力の一つは1曲1曲を「独立した曲」として扱うのではなく
場合によって数曲を「一纏り」として捉えて、殆ど間を置かず続けて弾いているところにあります。

特に第25変奏の長いアダージョが終わった後、第26変奏~第29変奏をほぼ同じテンポで一気に弾き切るところは圧巻です。

このあたりはシトコヴェツキー盤にも引き継がれています。


32曲を一つの「物語」として完結させるような・・・
これは改めて考えると凄いことだと感じますね。
その後の(この曲の)解釈や世界観を一変させたような気がします。


そして第30変奏とアリア(Aria da capo)をどう演奏するか(演奏したか)という点ですが
ここにも、それぞれの演奏家の新たな「物語」が・・・これは次回。

ゴルトベルク変奏曲(木管四重奏版):アルンド四重奏団

2021-10-02 12:05:31 | ゴルトベルク変奏曲
ゴルトベルク変奏曲の木管四重奏版を聴きました。

演奏はアルンド四重奏団(Arundo Quartet)です。


カッコいいジャケット
四人の男達が見つめる先にあるものは・・・

ヤン・ソーチェク(オーボエ)
ヤン・マフ(クラリネット)
カレル・ドーナル(バセットホルン)
ヴァーツラフ・ヴォナーシェク(ファゴット)

ファゴットの方が編曲しています。ファゴットが目立つような気がするのはそのせい?
でも「低音主題」が変奏されるのですから、そこが強調されるのは当然なのかな。


繰り返しなしで、軽やかに、爽やかに全曲を駆け抜けていきます!
(約38分。グールドのデビュー盤のよう)

なんという心地よさ。
これは愉しい!!


普段、木管合奏曲を聴くことはあまりないのですが、ゴルトベルク変奏曲の様々な曲調のおかげで、
木管楽器の魅力、その柔らかで優しい音色と表現力が存分に味わえます。

これは素晴らしい!!


第27変奏の9度のカノン。
前半はシングルリードコンビ、クラリネットとバセットホルンで
後半はダブルリードコンビ、オーボエとファゴットで追いかけっこ。

全曲中唯一の純粋な2声カノンを、こんな"粋"な編曲で奏でるなんて。


シトコヴェツキーの弦楽三重奏版と並ぶ、名編曲版だと思います。


なお、おまけ?として、同じくバッハ大先生の管弦楽組曲第1番(木管四重奏版)も入っています。