私が度々訪問するBlogにchake先生の「みんなの糖尿病ストーリー」があります。最近の投稿の中に「家族の協力と“well-being”が大切」がありました。この物語で先生は、“well-being”=健康=健幸、「健康」は「健幸」と言う言葉を使って、物語をしめています。「健幸」って言う言葉・・・この病気についてを一言で言い表しているような気がします。そこで、私のこれまで辿った茨の道1.5年を振り返って見たいと思います。
この病気と診断されたのが2004年11月。ちょうど1.5年が経ちました。自分の回想録風になってしまいますが、当初、名ばかりの教育入院で主治医に言われた一言で、退院後は、目標値(HbA1Cを16.2%から7%以下に)を求めて、なにも分からぬまま、一気に走り出していたように思います。日々の食事や運動(主治医は15000歩以上と言っていましたので、信じて、がむしゃらに20000歩を目標に、日々18000歩~23000歩程度歩いていましたね・・・遠い目)を含めて、行動は常に数値ありきのガチガチの全く余裕の無い生活でした。今思うと「高脂血症&糖尿病」に対する知識も余り無く、これも先生のお言葉「数値が高いと合併症」と言う言葉に踊っていたように思います。
当時は、言葉だけが踊り、精神的に追い詰められたような状態だったのかも知れません。些細な事でも自分の思い通りにならないと、即切れしまくって、周囲や奥方に八つ当たりして、迷惑ばかりかけていました。この即切れ、自分でもちゃんと認識して、いつも我慢の2文字だと思っていても、突然の即切れには、自分自身も押さえようが無く、対処できませんでした。これを解決するには、どうしたら良いのかと日々悩みつつ、相変わらず即切れの日々。未だにはっきりした原因は分かりません。特に奥方は、突然切れる私を見て、何が起きたのか理解できずに、どう対応してよいのやら対応にかなり困っていたと思います。いきなり切れるもんだから、奥方もなんやねんと反対に怒りを爆発させる始末。滅茶苦茶な時期もありましたね。多分、今思うとあの状態が続けば、二人の意思疎通が図れず、性格の不一致と言う事で離婚ものだったのかもしれません。
この突然の切れは、自分でもはっきりと自覚しており、奥方に理解してもらおうと、また自分自身が理解しようと原因や対応について理由も分からずに、何で即切れになるのか、何度も何度もお互いが納得するまで、話し合いました。(この時期は、病院に対して、不信感が強く、相談と言う言葉が思い付きませんでした。)お互いが各々の思いをぶつけ合った事が、ひょっとしたら良い方向に向いたのかも知れません。
この病気と一緒に歩いていくには、どうしても家族とこの病気の知識を平等に共有する事が不可欠なような気がします。奥方もかなり悩んでいたと思います。自分自身、話し合っていても、ちょっとの食い違いで、我慢できなくなった自分に対して腹立たしくて・・・この病気は、人に迷惑をかけないで生きることは不可能なんだなと思います。家族から幸せを奪うようなことが起きてしまうと、自分の幸せをも奪われていくんだなぁ~と・・・
この時の出来事を振り返れば、ほとんどが、失敗の積み重ねでした。自己血糖測定を何度、いや何十回と行ったことやら・・・月に一度、センサー等を自費で購入していました。今は、懐かしい思い出でしかないのかもしれません。今思うと、突然の切れも血糖の不安定も全ての失敗は、自分自身に全く精神的/肉体的に余裕が無かった事、家族の理解を得られなかったことに起因するものだったのかもしれません。二型糖尿病って、本当に不思議な病気だと思います。失敗を繰り返していくうちに、自分なりに、家族なりに失敗を繰り返すまいと自然と学んでいくんですね。この学び(がちがちの数値からの開放)が、精神的な重圧や苦痛から少しずつ解放されはじめたような気がします。
この解放が更なる余裕を生みだし、「HbA1c」低下に繋がったのかも知れません。ある程度HbA1Cが下がってくると、今度は、達成感からかの精神的な余裕が生まれて来たのでした。この余裕(この頃は、仕事に忙殺されていた事もあり、気を逸らされた???・・・)で、切れまくり生活から何時の間にやら脱出し、昔ながらの穏健さ、自分自身を取り戻していました。でも、まだ、切れることがままありますが・・・
この精神的な余裕で、この病気と気長に一生付き合っていこうと言う思いが生まれ、数値もあくまでひとつの目標でしかないことに気づきました。また、曖昧だった将来に向けての趣味(引退後の第三の人生)に向けて、地に根をおろし、走るきっかけとなった気がします。そうなると連鎖的に歯車は良い方向に好転し、昔の切れまくりは、ほぼ収まり、現在は、本来の性格の気が長さや穏健な性格が戻ってきて、更に、将来へ向けての展望開けて、今までの重圧や苦痛はなんだったのかと過去を振り返れる余裕も生まれてきたようです。過去は、人生の知恵袋だと思います。私、改めて思いました。健幸にもって行く近道は、無いのかも知れないと・・・
天気:雨
気温:最低温度19.8℃ / 最高温度22.5℃
ウォーキング:10916歩 / 消費カロリー:302.10kcal
歩行距離:約7.10km
この病気と診断されたのが2004年11月。ちょうど1.5年が経ちました。自分の回想録風になってしまいますが、当初、名ばかりの教育入院で主治医に言われた一言で、退院後は、目標値(HbA1Cを16.2%から7%以下に)を求めて、なにも分からぬまま、一気に走り出していたように思います。日々の食事や運動(主治医は15000歩以上と言っていましたので、信じて、がむしゃらに20000歩を目標に、日々18000歩~23000歩程度歩いていましたね・・・遠い目)を含めて、行動は常に数値ありきのガチガチの全く余裕の無い生活でした。今思うと「高脂血症&糖尿病」に対する知識も余り無く、これも先生のお言葉「数値が高いと合併症」と言う言葉に踊っていたように思います。
当時は、言葉だけが踊り、精神的に追い詰められたような状態だったのかも知れません。些細な事でも自分の思い通りにならないと、即切れしまくって、周囲や奥方に八つ当たりして、迷惑ばかりかけていました。この即切れ、自分でもちゃんと認識して、いつも我慢の2文字だと思っていても、突然の即切れには、自分自身も押さえようが無く、対処できませんでした。これを解決するには、どうしたら良いのかと日々悩みつつ、相変わらず即切れの日々。未だにはっきりした原因は分かりません。特に奥方は、突然切れる私を見て、何が起きたのか理解できずに、どう対応してよいのやら対応にかなり困っていたと思います。いきなり切れるもんだから、奥方もなんやねんと反対に怒りを爆発させる始末。滅茶苦茶な時期もありましたね。多分、今思うとあの状態が続けば、二人の意思疎通が図れず、性格の不一致と言う事で離婚ものだったのかもしれません。
この突然の切れは、自分でもはっきりと自覚しており、奥方に理解してもらおうと、また自分自身が理解しようと原因や対応について理由も分からずに、何で即切れになるのか、何度も何度もお互いが納得するまで、話し合いました。(この時期は、病院に対して、不信感が強く、相談と言う言葉が思い付きませんでした。)お互いが各々の思いをぶつけ合った事が、ひょっとしたら良い方向に向いたのかも知れません。
この病気と一緒に歩いていくには、どうしても家族とこの病気の知識を平等に共有する事が不可欠なような気がします。奥方もかなり悩んでいたと思います。自分自身、話し合っていても、ちょっとの食い違いで、我慢できなくなった自分に対して腹立たしくて・・・この病気は、人に迷惑をかけないで生きることは不可能なんだなと思います。家族から幸せを奪うようなことが起きてしまうと、自分の幸せをも奪われていくんだなぁ~と・・・
この時の出来事を振り返れば、ほとんどが、失敗の積み重ねでした。自己血糖測定を何度、いや何十回と行ったことやら・・・月に一度、センサー等を自費で購入していました。今は、懐かしい思い出でしかないのかもしれません。今思うと、突然の切れも血糖の不安定も全ての失敗は、自分自身に全く精神的/肉体的に余裕が無かった事、家族の理解を得られなかったことに起因するものだったのかもしれません。二型糖尿病って、本当に不思議な病気だと思います。失敗を繰り返していくうちに、自分なりに、家族なりに失敗を繰り返すまいと自然と学んでいくんですね。この学び(がちがちの数値からの開放)が、精神的な重圧や苦痛から少しずつ解放されはじめたような気がします。
この解放が更なる余裕を生みだし、「HbA1c」低下に繋がったのかも知れません。ある程度HbA1Cが下がってくると、今度は、達成感からかの精神的な余裕が生まれて来たのでした。この余裕(この頃は、仕事に忙殺されていた事もあり、気を逸らされた???・・・)で、切れまくり生活から何時の間にやら脱出し、昔ながらの穏健さ、自分自身を取り戻していました。でも、まだ、切れることがままありますが・・・
この精神的な余裕で、この病気と気長に一生付き合っていこうと言う思いが生まれ、数値もあくまでひとつの目標でしかないことに気づきました。また、曖昧だった将来に向けての趣味(引退後の第三の人生)に向けて、地に根をおろし、走るきっかけとなった気がします。そうなると連鎖的に歯車は良い方向に好転し、昔の切れまくりは、ほぼ収まり、現在は、本来の性格の気が長さや穏健な性格が戻ってきて、更に、将来へ向けての展望開けて、今までの重圧や苦痛はなんだったのかと過去を振り返れる余裕も生まれてきたようです。過去は、人生の知恵袋だと思います。私、改めて思いました。健幸にもって行く近道は、無いのかも知れないと・・・
天気:雨
気温:最低温度19.8℃ / 最高温度22.5℃
ウォーキング:10916歩 / 消費カロリー:302.10kcal
歩行距離:約7.10km