故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

感動

2015-12-01 08:57:26 | よもやま話

感動とは、パッと弾けるようなものです。
突然やってくるから困るのです。

我慢しても、こみあげてくるものがあります。

私が誰か分からぬようになっても、母に会いに行きました。
じっと見る目は、昔と変わりません。
私は、話しかけ握る手に力を込めました。
母は握り返してきました。
私は、母の足をさすってあげました。
母は、安心したように眠りにつきました。

何度もそんなことがありました。
そして母は、帰らぬ人になりました。
お葬式の日に多くの人が集まってくれました。
母にゆかりのある方達です。
皆さん、母はこうだったと笑って送ってくれました。
今はもういないのです。会うことは出来ません。
母の暖かい手に触ることは出来ないのです。
しかし、母のことを思い出すことはできます。

感動のタイトルで書き始めました。
何故か母のことが思いだされました。

これまでも多くのことに感動しました。
切羽詰まったことも何度かありました。
その度に誰かに助けていただきました。
辛い思いがこみ上げてくることはありません。思い出せないのです。

誰かが優しい言葉をかけてくださった時に、ふと思い出されるのです。
鮮明に思い出し、よく助けてくれたと密かに感謝するのです。

その人にとっては、道に落ちていたごみを拾うような小さな親切だったのです。
その人は、とっくに忘れているのです。

感動を大事にしたいのです。
感動を形にしたいのです。
感動を伝えたいのです。

私は生きている。
他の人も、みんな生きているのです。
感動を与える人になれなくても良いのです。
感動する人でありたいと思います。
感動は、海の波のように伝わっていくのです。
ある時はさざ波のように。ある時は怒涛のごとく。

涙腺はゆるくなってきました。
多くの辛いことを経験したから解るのです。
泣くことも、笑うことも大っぴらにやってよいのです。
やっと、その資格をもらったような気がします。

私は何処に進もうとしているのか解りません。
ほとんどの道が塞がったような未知の世界です。
ただ言えることは、足らぬことを自覚する限り道は開けてくるのです。
満足とは、遠い世界です。

まず、やってみよう。から始まるのです。
生きるためには、何かをしなければならないのです。
だから始めましょう。何でも良いから。
歯を食いしばって続けていれば、少しだけ光が見えてくるのです。
感動は、その先にあるかもしれません。
吸い取り紙にしみ込むように、線香花火が弾けるように、
感じるのです。

藁帽子 持って行けよと 母がいう

2015年12月1日

コメント
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