故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

広島市郷土資料館

2015-12-20 06:42:35 | 思い出話

広島市郷土資料館に行ってきました。

市民の足、路面電車は実に便利な乗り物です。
朝夕、渋滞になっても路面電車の軌道だけは空いているのです。
すいすいと止まることなく走ります。
昔は、手すりを掴んでよっこらしょと、乗り込んだものでした。
今は、電車の床と電停の床の高さが同じです。

県病院前で降りて、頼々亭の中華そばを食べました。
実に懐かしい味です。横浜から来たと伝えました。
先代の親父さんの写真が飾っていました。
親父さんは、3日3晩煮込んだ濃い豚骨スープをあっさり味で食べさせてくれました。
金糸卵が山のように盛られていました。
お腹透かしの高校生にとって、この世のものとも思えない旨いものだったのです。
夢中で食べ進むにつれて、もうこれだけしかない、もっと食べたいと思ったものでした。
同じ気持ちで、大盛を頼みました。間違いでした。
スープこそ昔より薄味になっていたけど、麺の量は同じでToo-much でした。

広島郷土資料館にくるのは、民俗学の資料(特に本)が豊富だからです。
瀬戸内海のものに限らず各地の歴史や民族について、実にユニークな資料があるのです。
毎日通って、本の虫になりたいくらいです。
先人たちは、なんと詳細に大胆に残してくれたのでしょう。
忘れていた私の本の虫が、起きだしてきました。そろそろと牙をむきだしそうです。
東京に帰ったら、さっそく図書館に通おうと決めました。
特に民族学に関する資料が読みたいのです。

ここに来る理由は、もう一つありました。
小説「さなさん」を書いたとき、恩師から調べたのですか。と問われた時からです。
追い込み漁の話をなにげなく、焼玉エンジンの話、小船で本船まで渡した話、
砲台の話などについて記憶を頼りに書きました。
一片の真実は、無限の想像を遥かに上回ります。
そうです。私は吉村昭のように調査しなかったのです。
「さなさん」を書き上げた後に、この郷土資料館で、記憶の検証をしていたのです。
ほっと、胸をなでおろしたのを昨日のことのように思い起こします。

今日も、恩師に会います。妻と一緒です。
絵手紙を見て頂こうと、コンピューターを持ってきました。
画像フォルダを一枚ずつ観て頂こうと思います。
恩師は、市の展覧会によく作品(油絵)を出されていたそうです。
いつまでも、恩師は怖いのです。そして優しいのです。
90歳に近いはずです。

眼力に ちじみ上がりし 還暦子

2015年12月20日

コメント
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