地方都市に行くと、シャッター街を見ることがあります。
郊外へ、安い土地へ、少しでも広い土地へと人々は郊外に出ていきました。
それに併せて、スーパーマーケットや外食店が軒を連ねるようになりました。
駅には車で通わざるを得なくなりました。
駅も飛びこして、目的地に車でゆくようになりました。
一挙に駅前商店街は、さびれていきました。
所謂、ドーナツ化現象です。
その前は、駅前に共存共栄の限られた面積で許可された大型店が並んでいました。
アメリカから要求されて日本政府が応じた規制緩和でした。
ドーナツ化現象が進むと、大型店はいち早く非難しました。
広い店舗が可能な郊外へ移ったのです。
役所も郊外にインフラを伸ばしました。
税金を払う人のことを思ったのです。
郊外が発展して、地域が活性化すればと考えたのです。
住居が2階の小商店は郊外には行けなかったのです。
1階の店を閉じて、2階の住まいでひっそりと暮らすようになりました。
櫛の歯が抜けるように、その場所が駐車場に替わっていきました。
両側が駐車場の真ん中の一軒家は、ぽつんと何かを待たれるようにひっそりとしています。
数十年後、郊外の昔開発された団地の住民は高齢化しました。
次々と郊外店が廃業していきました。
郊外の住民は、買い物にも困る事態となりました。
かと言って、駅前商店街も元には戻りませんでした。
小商店には、後継者が育たなかったのです。
駅前も郊外もさびれていきました。
過疎です。
東京でも過疎が始まっています。
横浜市磯子のマンションに住んでいるのは、高齢者が多いのです。
高島平や多摩などの大きな団地は、高齢化が進みスーパーは
店をたたまざるを得なくなっているのです。
アメリカも同じようなことになっていました。
そこで、コンパクトシティー構想が出てきました。
かつての駅前を中心に街づくりが再考されるようになりました。
東京の中央区は、昼間の人口に較べ夜は極端に少なかったのです。
汐留のターミナル、品川の倉庫街が再開発され、マンションが建ちました。
かつて高騰した地価は下がり、若者も買える価格帯になりました。
郊外に住んでいた高齢者も便利な都心に買い替えをするようになりました。
川崎でも、中小の工場跡地にマンションが建ち始めました。
過疎になりつつあった川崎の中心街に活気が戻ってきました。
ドイツに行った時、東京での通勤時間が話題になりました。
彼らのほとんどは一時間弱の通勤時間でした。
ドイツには、人口30万都市が多く、また点在しています。
工場誘致にどの都市の行政も積極的です。
ユニオンも緩和策(残業もする)で対応します。
どの都市も古い町並みと新しい施設が融合しているように見えました。
巨大な街を作らないようにも見えました。
地域に残るビール会社のビールを優先的に飲まれていました。
地産地消です。
取り残された地方のシャッター街の再生は、
新しい時代の人たちに任されることになりました。
シャッター街再生については、明日の話とします。
2015年12月5日