故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

生きる必然性

2015-12-23 09:29:39 | よもやま話
  
私達は生かされている。
だから、胸を張って生きていて良いんだと、和尚がよく言われる。
あそこが痛いし、金もないから生きていても楽しいない。
そう、思われるかもしれません。

あなたが生きているから、子供達が集まるのです。
例え死んだとしても、法事の度に皆さんが集まるのです。

法事があるのは、お寺さんのご商売のためと思っていました。
和尚は、法事のゲストであり大事な役目を果たす人であると
この頃解ってきました。

今日のテーマは、「生きる必然性」です。
恩師も読まれていると思うと、少々腰が引けますが、
気を取り直していつものように考えをまとめたいと思います。

生きるために何かをやる。
何かをやるために生きている。
どちらも正しいのです。

若い時は、生きるために何か(勉強や仕事)をやっていました。
そのうちに、家族のために、自分のために
何か(稼ぐこと)をやるに変わってきました。
今は、生きるために何かをやることに飽きてきました。

なにかをやりたいから生きている。
生きるために食事をしたり、環境と調和して生活しています。
何かをやりたいのです。
仕事であったり、技術伝承であったり、人助けであったりします。
これだけでは、どうもしっくりこないのです。
何かをやるために生きる本当の意味にはならないような気がします。

生きる必然性は、単に生きたいからとも考えます。
誰も生きたいのです。
かといって、自分が生きていても世の中は変わりはしません。
冒頭の和尚の話のように、生かされていると考える方が妥当かもしれません。
自分は生きていても良いのだと誰も教えてくれません。

「生き抜く」ことに価値があるのです。
誰しも困難を抱えています。
困難は、誰かに話して助けてもらえば良いのです。
その前に、「生きたい」という願望がなければなりません。

一昨日、妻と一緒に映画を観ました。
「杉原千畝」というタイトルでした。
第二次世界大戦のさなか、リトアニアで日本国の領事をしていた方の
伝記映画でした。どこにも逃げることができないユダヤ人を助ける話でした。
数千人がリトアニアから出国するためのビザ(日本への渡航許可)を
発給したのがその内容です。
逃げおおせた数千人のユダヤ人は世界に渡り、子孫の数は4万人と言われています。
日本国の了承がないままの独断のビザ発給でした。
出国できなければ、アウシュビッツ行きだったのです。

ユダヤ人は生きたいと思い、千畝は助けたのです。
映画の中で、日本領事館で働くポーランド人の台詞が印象に残りました。

「千畝、お前は最低の領事だった」
「だけど、お前は最高の友人だった」
ユーモアはこうでなけりゃと思いました。

生きたい馬鹿野郎に、助ける馬鹿野郎。
私は、両方の馬鹿野郎でいたい。

朝顔に つるべ取られし 仲間かす

2015年12月23日


コメント
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