どちらかが、先に旅立ちます。
それは世の常です。
女の方は、独りには意外と強いようです。
「せっかく独りになったのに、また面倒な結婚なんてするのよ。」
妻の友人の感想です。
女の人は、世間が狭いようで広いのです。
子育ても終わり、小遣い程度の仕事ができていれば満足のようです。
女の友人と、たまにだけど旅行やスポーツをする。
複数の友人がいれば、結構スケジュールも埋まるのです。
やっと自分の時間が持てるようになったのです。
女の人が独りに強いのは、子供との関係が男より密であるからことも大いにあるでしょう。
さて、男の独りはどうでしょう。
料理を、家事を覚えてしまえばそんなに苦労はないようです。
趣味のゴルフは、70歳を越えれば税金が免除となり、
ウイークデーなら経済的な負担も少ないのです。
子供は自立し、まったく自由です。
同じ境遇の友人たちとたまに酒でも飲めば、友達の輪は広がっていくのです。
問題は、孤独をひしと感じる時のことです。
自分は子供達からも必要とされなくなり、自分たちの世代以外(若い世代)とは
価値観が異なっていき、溝が埋まらなくなった時のことです。
じいさんや、ばあさんやと語りかけるだけで分かり合える、
共有するものが無くなった時のことです。
独りより、二人の方が経済的には苦しいのです。
生きるスペースは2倍必要です。衣食住すべて2倍です。
コストは独りよりかかるのです。
経済的なことは、どちらかが働けば解決します。
思い出の品が詰まっている家の中を見渡すと、
一年以上使わなくなったものばかりです。
傘も10本以上あります。着れなくなった洋服だって山のようにあります。
コーヒーカップのセットだって5組もあるのです。
ほとんどのものが不要です。
歳時記のような思い出のアルバムもたくさんあります。
私は、妻とアパート暮らしを始めました。
どちらの家族からも反対されました。
これ幸いと、少ない荷物からのスタートでした。
皆さんが、若い時に始めた生活です。
新婚時代に寄せ集めの家具で始めたかつかつの生活です。
思い出の品々は、それぞれの家に残したままです。
言ってみれば、今の生活には不要なものの集まりです。
独りで暮らし始めるとしたら、私はすべての品々を捨てます。
感動した写真があるとします。すべて絵手紙にして削除します。
絵手紙にできないものも削除します。
日々の感動は言葉にして残します。
いつ使うか分からない思いでの品物は、捨ててしまいます。
それで十分です。身軽にしたいのです。
60歳を過ぎて再婚することは、これまでの生活の延長ではないのです。
私達が、初めにやった新婚時代と同じことです。
好きだけど、本当はどんな人なのか知らないのです。
保険に入ってくれと言われないだけ、ましだと思わなければならないのです。
これだけは言えます。
経済的に自立しなければなりません。
60歳過ぎても衣食住の負担はあるのです。
稼ぐことができれば、家族が増えてもやっていけます。
そのためには、元気でなければならないのです。
元気をくれるのが、パートナーであれば儲けものです。
考え方が、回り始めるのです。
60過ぎの再婚の是非は、この一点にあります。
浮いた話ではないのです。
勇気を持って再婚するのであれば、地に足をつけた生活が待っています。
最初に家族を持った時と、同じ苦労をするのです。
しかし、同じ時代を生きたパートナーと価値観を共有することはできます。
この是非に対する考え方で決まると思います。
「せっかく独りになったのに、また面倒な結婚なんてするのよ。」
この言葉には、多くの真実が潜んでいます。
誰にも言えない苦労の連続だったのです。
それなのに、あなたはまた同じ苦労を始めるのですか。
もう、その苦労からやっと卒業できたのよ。
パートナーは、奥さんのリピーターではないのです。
まったく新しい未知の人なのです。
だから、新婚時代のようになんでも協力しなければならないのです。
話し合わなければならないのです。
あなたは、これでも再婚したいですか。
「60過ぎ、再婚の是非」は、Part3に持ち越しのような感じがします。
おぎやーに 湧いた歓び 今不安
2015年12月2日
2015年2月3日「60過ぎ、再婚の是非」もご参照ください。(筆者)