後ろに座っている人からメールが来ました。
私は、後ろにいますよ。
どうして、一言声がかけられないのでしょう。
こうして欲しいと書いています。
CC(参照者)の欄に偉い人の名前が入っています。
私は、貴方に依頼しましたよ。それは偉い人もご存知ですよ。
私は、口頭で後ろの同僚に「できない。理由はこうだ。」と回答します。
わかりました。と彼は言いました。
「どうしてできないのですか。出来なければ、できるようにしてください」と
すぐにメールで返事が返っていました。CCには偉い人の名前が。
私は、もう相手にしません。
数日して、またメールが来ていました。では、話そうと同僚にかけあいました。
数分でことは足りました。
携帯電話に、伝言が入っていました。
要介護2の義兄からです。
今度来る時で良いから、これこれを買って来てほしいとの依頼でした。
全部、自分で買いに行けるものでした。
おば捨て山の話を思い出しました。
帰りに、息子が迷ってはいけないと、母は残る力で枝を折り道標にしたのです。
介護を始めると、肉体は驚くほど改善します。
薬が、機械が肉体をサポートします。
わずかな負担で便利な生活を手に入れられます。
ヘルパーとて商売です。税金が湯水のごとく流れて行く瞬間です。
考える力の介護は、難しいようです。
歯を食いしばって、残されたわずかな力で
枝を折る母の息子を想う気持ちが痛々しいのです。
こうしてほしいとメールで準社員は言えないのです。
分ってくれない社員に、何度も口頭で話します。
社員とて、解ってくれない偉い人に一生懸命話すでしょう。
先人達の一生懸命が伝わりません。
それでも、元気をサポートすることが、
税金の負担を軽くすることに気づいてきました。
若い人も、歳をとった人も、
枠を決めないことです。
便利なことと、便利でないことの狭間を埋める努力をしなければならないのです。
どんなに辛いことも、わずかですけどできることになり、
楽しいことになるはずです。
残り歯で まだ肉食える 明日は豆
2015年12月22日