故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

子供中心

2017-09-08 07:18:30 | よもやま話

義理の姉さんが、かみさんにぴったりと送ってくれた
陶器の人形です。


今日も難しいテーマ「子供中心」に挑戦します。
やめとけばよいのに、思いついたからしょうがない。

私にも子供がいます。
最初の子供は、難産でした。
病院で付き添って、たまたま空いてた隣のベッドで寝てしまいました。
生まれそうとなった時、かみさんはすたこらと歩いて産室に消えました。
あんなに苦しそうだったのに、歩けるのと思ったものです。

最期に生まれたのが、4人目です。
上の子3人を自転車にのせて産院まで行きました。
前後にのせて、下の子はおぶって4人乗りでした。
看護婦さんが、えっと驚きながら笑っていました。

そういうものの、「子供中心」の生活は短かった。
あっという間の20年間でした。
孫が産まれました。
孫が可愛いと思ったのは、しばらく経ってからでした。
孫より子供が可愛かった。
子供が大きくなっても、そんな時間がありました。

「子供中心」の時は、なにもかも一生懸命でした。
重い荷物も運べました。
アパートを借りに不動産屋に行きました。
4人の子持ちに貸すのを渋りました。
払えるかいなと心配したのでしょう。
かみさんと、これじゃあな。
と互いに笑いながら、子供の手を引いて不動産屋を何軒も訪ねました。

どの子にも思い出がありました。
どの子も登校拒否をやってくれました。
私達は、慌てることはありませんでした。
末娘が教室でおならが出ないようにするにはと、本を買って研究しました。
長男が、初めてアルバイトをすると言うので、
二人でスーパーマーケットに行き、
売り棚の陰から交互に覗いたこともありました。
大きな声で、客寄せをしていました。
驚いたものです。

餃子を食べるに際して、「一人何個」が合言葉でした。
育て上げた頃、かみさんは他界しました。
彼女は、「子供中心」の世界で生き抜いて終わりました。
それからが長い。ということを知りません。

子供中心。
幸せのまん真ん中の時でした。
それでよかったのかなと今は思います。

本読んで せがむ子あやし 先に寝る

2017年9月8日
コメント
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