短編小説「さなさん」で描いた「命の水」というタイトルの絵です。
軍事施設のためとはいえ、横穴を掘り水を確保し、
島の宿命のような永年の水争いを忘れさせた架空の水源です。
今日のタイトルは、「微々たる進歩」です。
科学の世界は、飛躍的に進歩する。
その進歩の多くは戦争に使用され、多くの人命を奪い破壊を繰り返してきた。
「微々たる進歩」の裏付けは、確たるものはない。
電気が発見され、コンピューターが普及した。
全ての事柄が、仮想現実の方向に向かっている。
リサイクルは、いたるところで応用され、新しい物の生産は滞ることが予想されている。
世の中は、「微々たる進歩」を選択し始めたような気がする。
大きく発展すると、欲と欲がぶつかり争いごとになってしまう。
持つことよりも共有する時代になってきている。
そのほうが、無駄遣いが少なく効率的なのかもしれない。
争いごとは出来るだけ抑え、知恵を働かせることになる。
私達は、大いに試されている。
一方で反対と唱えるが、この場合は別だとダブルスタンダードが、
横行しているのも事実である。
争いごとを抑えるのに、ダブルスタンダードでは、
いずれ化けの皮がはがれてしまう。
一見正しいようだが、大嘘が隠されていることにもなる。
これは、「微々たる進歩」をゆがめる詭弁に繋がりかねない。
自らを利するためのダブルスタンダードだからである。
どうして、「微々たる進歩」について書こうとしたのか。
私達は、毎日こうするとこうなると、多くの疑似体験をテレビで視ることになる。
それはそれ、これはこれと常に他山の石である。
自分のことになると、怠け者で横着で楽な方向にばかり走ってしまう。
皆がこうしたら良いと考えている。
でもそれを言うのがとても面倒である。
皆がゴミを一つずつ拾えばきれいになるであろうが、
気付かぬうちにむしろまき散らしている。
ここに、「微々たる進歩」は見つけにくい。
これから、「微々たる進歩」を遂げるために、人々は気づき立ち上がるであろう。
そうしなければ、私達は生きてゆけなくなるからだ。
大いなる進歩を制御してこそ、「微々たる進歩」が目に見えてくるようになる。
一歩前進、二歩後退のような、数々の失敗の連続である。
世代が変わり、次の世代もまた同じような経験をすることになる。
智慧や経験は、引き継がれにくいのである。
一人の暴徒を抑えるのに、周りを取り囲んで安全を確保しながらの対応である。
何が正しいなんてことは、後の世代になって「そうだったんだ」となります。
私は、自分の中に、「微々たる進歩」を生きるうえで感じています。
でも、「できないなあ」とも気づいています。
大いなる志と、遠くまで見る目を持ち、長く歩ける体力を備える。
こんなことで、ちょうど良いのかもしれない。
毎日頑張っても、正しくなかったことばかり見つけているような気がします。
正しくなかったことに日々気づくことが、
「微々たる進歩」を感じる手段のような気がする。
真摯でなければならない。明るくなければならない。
生き方そのものが、「微々たる進歩」とも言える。
これからも何度となく、このテーマについて書くことになるでしょう。
長雨に 足りなし日より も少しだ
2017年9月15日