故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

微々たる進歩

2017-09-15 07:44:02 | プロジェクトエンジニアー

短編小説「さなさん」で描いた「命の水」というタイトルの絵です。
軍事施設のためとはいえ、横穴を掘り水を確保し、
島の宿命のような永年の水争いを忘れさせた架空の水源です。


今日のタイトルは、「微々たる進歩」です。
科学の世界は、飛躍的に進歩する。
その進歩の多くは戦争に使用され、多くの人命を奪い破壊を繰り返してきた。

「微々たる進歩」の裏付けは、確たるものはない。
電気が発見され、コンピューターが普及した。
全ての事柄が、仮想現実の方向に向かっている。
リサイクルは、いたるところで応用され、新しい物の生産は滞ることが予想されている。
世の中は、「微々たる進歩」を選択し始めたような気がする。

大きく発展すると、欲と欲がぶつかり争いごとになってしまう。
持つことよりも共有する時代になってきている。
そのほうが、無駄遣いが少なく効率的なのかもしれない。
争いごとは出来るだけ抑え、知恵を働かせることになる。
私達は、大いに試されている。

一方で反対と唱えるが、この場合は別だとダブルスタンダードが、
横行しているのも事実である。
争いごとを抑えるのに、ダブルスタンダードでは、
いずれ化けの皮がはがれてしまう。
一見正しいようだが、大嘘が隠されていることにもなる。
これは、「微々たる進歩」をゆがめる詭弁に繋がりかねない。
自らを利するためのダブルスタンダードだからである。

どうして、「微々たる進歩」について書こうとしたのか。
私達は、毎日こうするとこうなると、多くの疑似体験をテレビで視ることになる。
それはそれ、これはこれと常に他山の石である。
自分のことになると、怠け者で横着で楽な方向にばかり走ってしまう。
皆がこうしたら良いと考えている。
でもそれを言うのがとても面倒である。
皆がゴミを一つずつ拾えばきれいになるであろうが、
気付かぬうちにむしろまき散らしている。
ここに、「微々たる進歩」は見つけにくい。

これから、「微々たる進歩」を遂げるために、人々は気づき立ち上がるであろう。
そうしなければ、私達は生きてゆけなくなるからだ。
大いなる進歩を制御してこそ、「微々たる進歩」が目に見えてくるようになる。
一歩前進、二歩後退のような、数々の失敗の連続である。
世代が変わり、次の世代もまた同じような経験をすることになる。
智慧や経験は、引き継がれにくいのである。

一人の暴徒を抑えるのに、周りを取り囲んで安全を確保しながらの対応である。
何が正しいなんてことは、後の世代になって「そうだったんだ」となります。
私は、自分の中に、「微々たる進歩」を生きるうえで感じています。
でも、「できないなあ」とも気づいています。
大いなる志と、遠くまで見る目を持ち、長く歩ける体力を備える。
こんなことで、ちょうど良いのかもしれない。
毎日頑張っても、正しくなかったことばかり見つけているような気がします。
正しくなかったことに日々気づくことが、
「微々たる進歩」を感じる手段のような気がする。
真摯でなければならない。明るくなければならない。
生き方そのものが、「微々たる進歩」とも言える。

これからも何度となく、このテーマについて書くことになるでしょう。

長雨に 足りなし日より も少しだ

2017年9月15日
コメント
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