故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

挑戦は美しい

2015-04-25 05:17:46 | よもやま話
ネクタリンのデザートを描きました

初めて、CADと向き合ったとき、
偉い人が来て、私のシャープペンシルを取り上げ
床に投げました。

何をするんだこの人と思いました。

この上司が言いたかったのは、
シャープペンシルを使って、伝えることは止めるんだ。
これからは、紙を使った筆談はやめて、
コンピューターで会話をするということだったのでしょう。

30数年前、国際展示場に、食品に関する機械を見学に行った後、
報告書を書いていました。
「現在進めている機械の開発に役に立つ情報を得ました。」と。
同じ人が、がっかりした顔をしました。

高い金を払って、お前はその程度のことしか見てこなかったのか、
世の中にないものを開発するための勉強に行ったのではないか。と。

この言葉は衝撃的でした。

視点(視野)が違うのだと感じました。

今日の主題は、「挑戦は美しい」です。
妻が作ってくれたネクタリンのデザートを絵手紙にしてみました。
どうにも、ゼリーの色合いが出ないのです。
ゼリーに閉じ込められたネクタリンの微妙な色が出ないのです。
悪戦苦闘。

あきらめたと同時に、今度描く時はもっと感動を出せるのではと思いました。
印象に残った色を使えば良いのだと思いました。もっと濃く。

私は、格好をつけたがります。褒められたい、認められたいと思うのです。
だから、萎縮してしまうのです。結果ばかり気にしてしまうのです。
まずやって、それから結果です。
始めなければ、何も感じないし、起こらないのです。

毎日、頭に浮かんだことを書きとめています。
できるだけ正直に、飾らずに、それが実力です。

幼子の 初めの一歩 手をたたく

2015年4月25日
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似島の灯台

2015-04-24 05:37:43 | 思い出話
 似島

村はずれの一本杉のような灯台があります。

真っ暗になって、島へ帰る途中、似島沖まで来ると
ぼんやり、海の中にブイの灯りが見え隠れしました。

島に帰るんだと少し寂しい気持ちで見ました。
島から広島へ行くときは、もうすぐ宇品に着くなと気負いました。

しばらくぶりに帰郷した時見たのは、海中の灯台でした。
ここは、島からの航路の難所だったのです。
春先にはよく霧がでました。
レーダーを積んでなかったフェリーは、欠航になりました。

似島には、親のない子が通う学校がありました。
特別な思いで、砂浜近くの小学校を眺めていました。
今でもあるのでしょうか。
日章旗をあげたポールが、小学校の上の岩山に立っていました。
原爆が落とされたあと、似島沖まで多くの屍骸が流れてきました。
島の人は、海からあげて弔ったと聞いています。

父は、食糧難の時代、仲間と組んで船を仕立て、
似島沖を通り芋を売りに行ったそうです。
帰りの船で、肥えを分けてもらい、畑の肥料にしたのでした。
昭和30年ころまで、肥えのもらい下げは続いたそうです。
闇市で儲けるための危ない夜の運搬だったのです。

瀬戸内海の漁は、盛んでした。
今は、漁師も高年齢、泳いでいると魚がぶつかるほどです。
フェリーから釣り船をよく見ます。
秋口には、回遊する鯵や鯖が面白いように釣れました。

釣り三昧

真っ暗な海は怖いのです。
似島の灯台は、島への帰り道の一本杉は今でも変わりません。
一時間かかった島への航路は、高速艇で半分になっていました。

灯台の 闇の向こうに 島あかり

2015年4月24日
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60うん歳の誕生日

2015-04-23 06:06:51 | よもやま話
 我が家に初物見参

自分の歳を、妻に告げる。
何を勘違いしたのか、
そんなに来たの。ブログ読者の数を指すのである。
いや、いや今日が誕生日と伝える。

それは、良かったね。
肩を数分揉んでくれた。
それでおしまい。

現役でバリバリの頃、来年定年の先輩と
昼飯後、海の公園を毎日散歩していました。
足腰が弱いと感じていた先輩のお供だったのです。

来る日も来る日も、釣り糸を垂れている
先輩より少し上の方と知り合いになりました。

毎日、好きなことができて羨ましいですね。と声をかけた。
毎日、釣りに出なけりゃならないのも苦痛ですよ。と笑っていた。
どういうことかと、重ねて聞いてみました。
釣り人の奥さんは、出かけてくれるのをどうやら期待しているらしい。

やれやれです。

忙しい時が、「華」ということです。
先輩は、スケジュールが埋まるのが嬉しいみたいです。

そうですか。

散歩の先輩は、その後ソフトボールをやり、
今では、和弓の師範です。

ほうほう。

歳を取ると言っても、何回目かの誕生日ということです。
それだけのことです。


優し妻 思い出したか 屁で祝い

2015年4月23日
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余裕綽綽

2015-04-22 06:16:18 | よもやま話

心に余裕を持つまでに、時間がかかります。

例えば、朝の仕度や出がけのルーチンワークをこなしている時、
時間が余れば、何か忘れてないかとか、
もう少しこの味付けはどうにかならないか、
と思います。気にかけていればの話です。

しかし、心の余裕はそうはいかないようです。
40年前のことは、この頃はバッサリと切り崩せますし、
冷静な判断ができます。
しかし、ここ10年の苦労の分析は、心穏やかではありません。

私は、絵手紙を描いたり、文章を書くことが、心を落ち着けるのに
役に立っていると実感しています。
初めの頃は、上手に描こう、感動を伝えたいと考えていました。

線さがし、色さがしに夢中になっていると、
上手く描きたいという邪心のようなものが消えていきます。
頭の中に生まれてくる考えや気持ちを素直に写そうと、
表現に気をつけながら、近づけようとします。
絵手紙も、文章もそのものズバリではないのです。
今の実力とあきらめています。今の味わいです。

つまり、「練る」努力が、少しだけ心に余裕をくれるようです。

余裕綽々となりたいのです。
いつも冗談が言えるようになりたいのです。
周りの人を勇気づけられるようになりたいのです。

鍛錬とは行かないまでも、
自分の気持ちを素直に行動に移すことが毎日できるのです。
ぐずぐず言う前に、動きます。気にかかることを少しでもこなします。
身体の調子が悪いときは、それもできません。
だから、今日は調子がよさそうだが嬉しいのです。

若葉萌え じゃがにトマト 早々に

2015年4月22日
コメント (2)
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筋肉痛

2015-04-21 03:58:53 | よもやま話

嬉しいことに、筋肉痛です。

ふくらはぎがつります。これは普通にあることです。
今夜は、腿の内側の筋肉がつりました。初めてです。
おそらく、山を登ったり降りたりしたからでしょう。

先輩と一緒に回ったラウンドでした。
先輩が本気になりました。
私は、初めて30代で回れました。(パー3x9ホール)
当然、先輩は、私よりはるか上です。

帰ってから、知り合いから頂いた「久保田 万寿」を、皆で飲みました。
極上の酒は、美味しい水のようです。さらっと喉を通過するのです。
妻の手料理も手際がよくて美味しかった。ありがとう。

心地よい疲れが残った休日でした。
酒は弱くなっているようです。
上手に付き合わなくてはならないようです。

お地蔵さん ひばりがよける 球を打つ

2015年4月21日
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