故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
泳ぐボートのようです。
茨城なまりの鶯がさえずっている。
一谷に、一羽の縄張り。
近くの雌竹の藪にいたかと思ったのだが、
もうどこかに行ったようだ。
昨夜の酒がまだ抜けきらないが、えいと書き始めました。
窓から覗くえんどう豆の花も数えきれなくなりました。
なにしろ、急がなくては先輩が訪ねてきます。
今日は、妻と三人で山岳コースに出かけます。
二人は、打ってはコロコロと帰ってくる球をまた打つのです。
先輩は、「俺が手本をみせてやる。」と来られるのです。
さてどうなりますやら。
帰りがけに、我が家で一杯です。
そら豆がおいしいでしょう。
2015年4月20日
同窓会幹事のりえちゃん
いつも明るくて、ちょっと問題のりえちゃんだった。
幹事を二人で、やることになったのは、2年前の同窓会でのこと。
前の幹事が頑張ってくれたので、多くの友人が集まってくれた。
皆が、言いたいことを言って、時空を越えたのである。
りえちゃんは、時々毛糸のパンツを履いてきていた。
どの女の子も、ゴム入り白木綿のパンツだった頃だから珍しい。
たまにしか帰って来ない船乗りの子供だった。
夫婦で、船長と機関長をやる、瀬戸内海の海のトラックだったのです。
両親が、帰って来られるとすぐに分かった。
見慣れないおしゃれな服を着て、学校に来たからです。
百姓の私達は、袖口てかてかの万年着た切雀でした。
どこまでも明るかった。
だれだれが唾を吐いた。それが学級会の議題でした。
誰々が、女の子をいじめた。それも議題でした。
10分の休み時間でも、外に出て走り回っていた。
りえちゃんも私も、ちびでした。だから隣合わせの席で前の方でした。
何が楽しい。何が悲しい。
生活すべてが、動いていた。
校庭の木々の葉が、潮風で裏返っていた。
皆が汗をかいていた。先生はこわかった。
昨日より、今日の方が幸せになると思いこんでいるこの頃。
とんでもなかったのである。
あの頃は、太陽がまぶしかった。素直に疲れて寝てしまった。
麦わら帽子の中の瞳は輝いていた。
無邪気なこころをいつしか置いてきたようです。
ほいほいと 今日も元気に がんばるぞ
2015年4月19日
他に類のないもの
こりゃ、本物だというものに出会いたいと思います。
自分がまだまだ未熟と気づかせてくれて、熱くしてくれるからです。
全力投球は、いつもできません。
周りが見えるかどうか。
自分の立場がわかるかどうか。
本物は、いつも一生懸命です。
毎日がぶれないのです。
急に固い話の出だしになってしまいました。
プロフェッショナルという番組を見た後は、いつもこうです。
足りない。まだまだ。となるのです。
少しハイな気分です。そして昨日までの自分を忘れられるのです。
人に仕事をしてもらおうと思うと、舞台を整えたくなります。
妻の料理の合間をぬって、洗いものをします。
それで良しです。美味しいものをこさえてくれるのは妻ですから。
ご飯をしかけ、コーヒーを淹れました。
一方、一生懸命だけでは人には伝わらないと思います。
伸び切っては、周りも窮屈です。
もうちょっと伸びるかもしれない手前で止めて、
本人は冗談と思いこんでる話をしても良いのです。
独立独歩は、子供が歩き出す様から孤高まで幅が広いようです。
絵手紙は、真剣そのものです。そんなに睨んじゃ愛嬌がないのです。
このくらいでいかがでしょう
腹すかし たまにトンカツ やっぱ酒
2015年4月18日
豆の花が蘭に見えて
我がやにも蘭の花が届いた。
こりゃ、どう見ても豆にしか見えない。と妻。
蘭の花と同じように並んでいるではないか。と独り言。
沖縄で栽培され、売られているのは数千円。
ところが、本土では数万円。どうしたものでしょう。
蘭とは、誕生日や開店などで贈られる花です。
私にも、あと数日で誕生日がきます。
この頃は、嬉しいよりほっとするのです。
やっと、この歳をクリアーできたかなんて考えます。
さっきも、ちびったパンツを替えたばかりです。
毎日が、一生のような重みです。
こんなに全力投球でもつのでしょうか。
緩めても誰にも解らないのです。でも出来ないのです。
華やかな日々。
昔でもないような。今でもないような。
ずーっとないのではないかな。
死ぬ時が一番華やかであったりして。だけど知ることはできません。
美空ひばりさんの歌声を聞きました。
昭和63年、東京ドームのこけら落としでの、不死鳥コンサートでした。
声に艶がありました。
この人の真似は誰にもできないんじゃないかと思いました。
もって生まれた宝のような声質でしょう。
妻は高い音は訓練で出るようになるが、低い音は天性のものと解説。
華やかではありましたが、精いっぱいの頑張りとも見えました。
1年のブランクがあって、復帰コンサートでしたから。
「華」とはなんぞや。
世阿弥の能楽論によると、
「華と、面白き、めずらしき、これ三つは同じ心なり」とが
演技・演奏が観客に感動を呼び起こす魅力。
と広辞苑に出ていました。
私には、とうてい望むこともできないのです。
花を愛で、なんでも面白がり、そうですかと珍しがることはできそうです。
これだ。と一人合点をしました。
踏まれ道 すきまこじ開け 今日も咲く
2015年4月17日
ス ナックえんどうがいっぱい生まれました
毎日の小さな感動を綴っています。
今日の感動は、スナックえんどうの赤ちゃんの絵です。
ふわふわの葉っぱに包まれて、スナックえんどうの小さい花が出てきました。
朝日を浴びて、たくさん出てきています。下の方の花から順に実になっています。
この辺まで、冒頭文を書き始めるといつも何かが出てきます。
その何かを毎日、少し苦しみながら想いとして残しています。
人間の赤ちゃんも、おくるみに包まれて、初めてご対面です。
最初の子供が生まれる時、難産でした。
隣のベッドが空いていたので、休みながら待っていました。
私はいつしか寝ていました。
18時間かかりました。かみさんは唸っていました。
看護婦さんが、もう産まれますよと声をかけると
かみさんは、すたすたと歩いて行きました。
死ぬかと心配したのが、うそのようでした。
何度も、テレビで出産に立ち会う男の馬鹿面を観ていました。
うろうろ、そわそわ、聞こえてくるであろう声を待っているのでした。
はらはらではなく、ただただ不安でした。
よく分からないことですから。
男は、実感が湧かないというか、頼りないのです。
一回経験すれば、もう慣れたもの。
次の子が産まれそうな時、かみさんは玄関に用意していた布袋を抱えて
ピクニックに行くようにタクシーに乗って出かけました。
少しの時間、長女を担いで山を歩き、産院に向かいました。
はあ、次の子が産まれていました。
だんだん増える家族が、肩にずしり、重みを感じた瞬間です。
何かが生まれる。
私にも、生まれました。
喜びと責任感です。
遠い昔のことを、スナックえんどうのおくるみを見て思い出しました。
朝日の窓 豆が二つ目 顔を出す
2015年4月16日