現在、入院中のお友達。
彼女の話をすると、ほとんどの人が「かわいそう」と言います。
(他人だけではなく身内の方も)
私は、この「かわいそう」に、いつも「違和感」を感じていました。
私自身は、彼女のことを
「たいへんだなぁ」とか「頑張ってるなぁ」
と思うことはあっても、「かわいそう」と感じたことはありませんでした。
(それは最初に彼女の口から病名を聞かされた時からずっと)
あまりに、よく聞くので、そうなると「かわいそう」と思わない自分が、おかしいのかと思ったりもしました。
そんな中、今朝の読売新聞に1編の記事が載っていました。
ガンで亡くなった柳原和子さんを悼む内容で、その中の柳原和子さんの言葉に
「ガン患者はガンになった瞬間にマイノリティになる」
とありました。
柳原さんの経験では、ガンになると周囲からは
「突然、不幸を背負った人間として扱われる」そうです。
この記事を読んで、やっと理解できたような気がします。
話を聞いた人は、無意識のうちに彼女のことを自分よりも「不幸な人」として認識するので、出てくる言葉が「かわいそう」になるのでしょう。
でも、たぶん彼女は「かわいそう」なんて思って欲しくは無いはずです。
ガンなんて、いまや、いつ誰がなってもおかしくない病気ですし、他にも様々な病気はあって、
私自身もNTGで将来失明する可能性もあるわけです。
(そういえば私も、NTGの話をしたときに「かわいそうに」と言われたことがありましたっけ)
辛い治療に耐えて頑張っている彼女を、私は尊敬しています。
(だって、私には絶対に耐えられそうにないですもの...)
「ガンになった」というのはあくまでスタートで、結果はまだ出ていません。
その段階での「かわいそう」は走る前から結果を予想しているようでもあります。
彼女は今、1等賞狙いではないけれど、「完走」を目指して頑張っているまっ最中。
そんな彼女を私のできる範囲でサポートしたいと思います。
どうも、私は、頑張っている人をみると応援したくなってしまう”クセ(?)”があるようで、それは病気だろうが仕事だろうが(遊びだろうが)関係ありません。
だから「かわいそう」と思えなくても、それでいいと、やっと納得できました。
応援してるからねOちゃん!